よみもの・連載

軍都と色街

第八章 津田沼 中国 ビルマ

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 房総半島の南端にある洲崎灯台からほど近い場所に、波左間という小さな漁港がある。背後には山が迫り、浜には小さな漁船が置かれていた。今ではありふれた漁港にすぎないこの港に、震洋を発着させるための、コンクリート製の岸壁が残されている。その岸壁は、岸から数メートル沖にあり、潮が引いている時には歩いて渡れた。一見すると、漁船を発着させる岸壁にしか見えず、戦争時代の遺跡には見えない。波左間漁港には震洋の岸壁だけではなく、砲台構築のための物資を運ぶ、レールを敷いた跡も残っていた。戦争の遺跡が日常の中に点在しているのである。港で岸壁を眺めていたら、犬を連れ麦わら帽子を被(かぶ)った地元の男性が歩いて来た。震洋の岸壁について尋ねると、彼は当時のことを語ってくれた。
「小せぇ時のことだけど、良く覚えているよ。震洋は小さな船だよぉ。ほら、そこの漁船ぐらいの大きさだったんじゃねぇかな」
 波左間港で出会った男性の名前は佐野欣二さん(八十一歳)。彼が指差したのは五メートルほどの小さな漁船だった。震洋はベニヤ製だったが、あの程度の大きさで敵艦隊に突っ込んでいく兵隊たちの気持ちとは如何なるものだったのか。
 波左間港には、当時真鍋康夫海軍中尉率いる第五十九震洋隊が駐屯していた。隊員の数は二百名から三百名ほどで、港の背後にある山裾に震洋を秘匿するための壕が掘ってあった。戦後館山に上陸した米軍の記録によれば、十三の壕が掘られていたというが、今現在目視できるのは、一つだけで、その壕もゴミや土砂に埋もれてしまっていて、当時の原形を止(とど)めていなかった。
「兵隊さんたちはよぉ、この辺の民家に泊まって、作業していたんだよぉ。みんな若い兵隊さんたちでなぁ。米軍が来たら、死ぬってわかってたから、昼間っから酒を飲んで酔っぱらっているのもいたよ。終戦間際になって壕ができて、訓練のため船を浮かばせたこともあったような気がするな。結局、戦争が終わって、兵隊さんに言われたんだよ、『お兄ちゃん、米軍が来たら、チンチン切られるから気をつけろよ』って。だから、トラックに乗った米兵を見た時は、一目散に逃げたのを覚えているよ」
 当時の情景が浮かび上がってくるエピソードだ。特攻隊の兵士の中には、迫り来る死を前にして、その恐怖を紛らわすために酒を飲んだ者もいたのだろう。結局兵士たちは終戦によって、出撃することはなかったが、もし本土決戦が行われていたら、間違いなく命を落としていた。そして、エピソードを語ってくれた佐野老人自身も米軍が上陸すれば戦火に巻き込まれていた。そう考えると、歴史の歯車の動きひとつで目の前の情景や人物はころころと変化して行き、人生そのものが儚いものであり、幻のようなものだという感覚に陥るのだった。 
 房総半島は、本土決戦における重要拠点ということもあり、特攻兵器の基地が各所に点在していた。爆弾を搭載して、ロケットエンジンで飛ぶ特攻機桜花を発射させるカタパルトやそのレールも残っている。沖縄戦で既に実戦に投入されていた桜花であったが、航続距離が短いため爆撃機一式陸攻の胴体に搭載され、敵艦隊に近づくと発進させた。ただでさえ航行速度が遅い一式陸攻は、桜花の重量分動きが鈍く敵戦闘機の格好の餌食となり、敵艦隊に向けて特攻攻撃する前に桜花は一式陸攻もろとも撃墜されていった。ここ館山では、カタパルトから直接発射できるように改良された桜花が本土決戦に向けて配備されていた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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