よみもの・連載

軍都と色街

第八章 津田沼 中国 ビルマ

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 軍歴証明書を取り寄せるためには、出征した者の終戦当時に本籍があった都道府県に問い合わせなければならない。ちょうど、手続きにかかろうかと思った時、祖父の軍歴について調べていることを知っていた母親から一本の電話が掛かってきた。祖父が保管していた軍歴証明書や行動記録が見つかったことを知らせてくれた。家の片付けをしている時に、何枚かの戦時中の写真とともに出てきたとのことだった。
 すぐにそれらの書類を送ってもらい、目を通した。
 一九〇七(明治四十)年生まれの祖父は、一九二九(昭和四)年一月十日に現役兵として津田沼にあった鉄道第二連隊第八中隊に入営した。翌年陸軍一等兵に昇進し除隊。
 実際に戦場に送り込まれたのは、一九三八(昭和十三)年四月に鉄道第一連隊に応召後、鉄道第五連隊第五中隊に編入されてからだった。陸軍上等兵に昇進し、一九三九年北支那において支那事変(日中戦争)に勤務従事と記してあった。いよいよ太平洋戦争がはじまると、東南アジアに向かうことになった。
 一九四一(昭和十六)年十月、伍長となった祖父は当時仏印と呼ばれていたベトナムのサイゴンに上陸した。真珠湾攻撃が行われた十二月八日にはタイ国突入作戦に従軍した。
 行数にしてわずか一行のタイ国突入作戦という文字が気になった。どのような作戦だったのか。
 太平洋戦争開戦の後、マレー半島及びビルマ方面への侵攻を計画していた日本軍は、両方面に陸続きで接しているタイへの進駐を計画した。マレーシアと接するタイ南部、当時フランスの植民地仏印と呼ばれたカンボジアと国境を接するタイ東部を中心に部隊を展開させた。祖父が所属していた鉄道第五連隊は、サイゴン上陸の後、カンボジアに入り、そこからタイへ進駐した。鉄道連隊は、鉄道を使って物資の輸送を任されていたこともあり、カンボジアとタイを結ぶ鉄路を確保し、速やかに鉄道を運行させることを求められた。
 鉄道連隊はタイ政府がさしたる抵抗をすることもなく、日本軍の進駐を認めたこともあり、進駐の翌日十二月九日には、カンボジア国境の街アランヤプラテートからバンコクまで鉄道の運行をはじめたのだった。さらには、サイゴンからバンコクへの鉄道も十二月二十二日には開通させるなど、鉄道連隊は戦争の遂行には欠かせない役割を果たしたのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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