よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「詳しいことは知らんのだけど、うちの家は江戸時代にここに来て、商売をはじめています。ところが明治時代に揉(も)め事があって、御手洗を出て、昭和のはじめにお婆さんが戻ってきて、芝屋さんのところでべっぴんさんを置いて商売をはじめたんです。それから売防法まで、商売を続けました。店には、御手洗一の美人の女性がいたそうですよ」
「遊女はどこの出身者が多かったんですかね?」
「江戸時代の話だと、北前船で売られてきたそうですよ。小さい子は五歳ぐらいからいたそうです。親もついてきて、市が立ったそうです。女性を並べて、記憶力だとか適性を調べて、値段が決まったようですね。日本にはアメリカやヨーロッパみたいに奴隷制度はないと言う人もいますが、女の子が生まれたら売るという行為は、奴隷制度そのものですよね。昭和になってからは、ヤクザが写真を見せて十代から二十代の女の人を売りにきたそうです。昭和四十年代のことですが、日本も貧しかったでしょう。私も船に乗っていた時代があって、九州の天草のほうの港に入った時に父親が自分の娘をどうだと売春の斡旋に来たこともありましたよ。この島ではないけど、近くの島では、その時代までは夜這(よば)いがありました。高校生ぐらいになると女の子は島から出されるんですよ。男が次から次へと来て、ぐちゃぐちゃにされるからね。船乗りの家は、お母ちゃんと子どもだけで、父親がいないでしょう。そこに忍び込んで、娘とやったと思ったら、お母ちゃんだったって笑い話もありますよ」
 色街の歴史から夜這い、気になっていた呉との関係まで、貴重な話を聞けた。偶然の出会いから、こちらが望んだ以上の話が聞けるとは思ってもいなかった。
 取材をしていると、偶然に偶然が重なり、思いもしない出会いや話を聞けることがあるが、そんな時に感じるのは、得体の知れない何かの存在である。今回のそれはこの島の遊女の魂だったのかもしれない。

 脇坂さんの話の興奮が冷めやらぬ中、私は御手洗にあるという遊女の墓に足を運んだ。最初に話を聞いた女性が、工事をした時に遊女と思われる骨がたくさん出てきたと教えてくれたが、この地を訪ねた以上、どうしても足を運んでおきたかった。
 港から、急な階段を上った。途中の斜面には、遊女の墓だろうか、古い墓石の一部が地中から顔を出していた。まだまだこの島の至るところには、回収されていない遺骨があるようだ。十分ほど歩いただろうか、みかん畑の中に、墓地が現れた。果たしていくつ墓があるのか、六十センチほどの大きさの墓がびっしりと並んでいた。案内板によればすべて遊女たちの墓だという。
 墓は御手洗の町、その先のおだやかな瀬戸内の海を見下ろすように立っていた。
 そのほとんどは、江戸時代のもので、中には、長年の風雨で削られ、字も判別できない墓も少なくない。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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