よみもの・連載

軍都と色街

第六章 大阪 和歌山

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 私は今里新地を歩いてみることにした。近鉄今里駅前、目抜き通りには大きなタコ焼き屋があった。地元の人には見慣れた景色なのかもしれないが、関東の人間からすれば、大阪に来たことを実感する。
 駅前から十分ほどかけてゆっくり歩いていくと、薄暗い通りに、ぼんやりと明かりが灯っているのが見えた。
 その明かりは、営業している今里新地の茶屋のものだった。長さ三百メートルほどの一本の通りに店が並んでいた。店が茶屋と呼ばれるのは、今里新地が昭和のはじめに、芸者が芸を売る花街(かがい)として誕生しているからである。芸者の中には、純粋に芸を売るだけではなく、転びと呼ばれる娼妓と変わらない者も少なくなかった。ただ、今となっては茶屋というのは名ばかりで、すでに今里新地には芸者はいない。

 唯一の名残りは、飛田のように娼婦が、遣り手婆と並んで座っていることはなく、かつての置屋のように待機しているマンションの一室から送り込まれてくることである。
 ここで遊ぼうと思えば、女性を直接選べるわけではなく、遣り手婆との交渉になる。
 通りにある茶屋は十数軒といったところか。建物は残っているが明かりがついていない潰れた茶屋も多かった。潰れた茶屋と現役の茶屋の間には東南アジアの食材店や韓国料理屋が目につき、色街の灯は消え入りそうな空気に包まれていた。平日の夜ということもあるが、遊びに来た客はほとんど見かけず、人通りといえば、料理屋に入る外国人のグループばかりが目についた。
 誰かに話を聞けないかと、何度か通りを行き来していると、通りの中ほどあたりの場所にある茶屋の入り口で暇そうにしている遣り手婆の姿があった。
「こんばんは。ちょっとお話いいですか?」 
 ダメ元で声をかけてみると、女性は「おお、ええよ」と気安く応じてくれたのだった。
「昔と比べたら、だいぶ店は減ったんですか?」
「そうやな。今じゃ寂しくなってしまったな。十二、三軒だけや、昔は端まで全部で八十軒はあったんやないかな。通りにはお茶屋さんしかなかったんよ」
「外国人向けのお店が多いですね?」
「どんどんやめていってしまったんよ。後継者がいなくてな。それから韓国、中国、ベトナムが来てな。外国人ばっかりになってしまったな。そんでも土日になれば、少しはお客さん来てくれるんよ。『おばちゃん来たよ』って、この前も横浜のお客さんが来てくれた。その人はグループで毎年来てくれる。そういう人がおるから、私も続けているんよ」
「おばちゃんは、どういう経緯でこの仕事をはじめたんですか?」
「近所に住んでるから、人の紹介よ」
「もともと、この仕事の経験があったわけじゃないんですか?」
「ないない。私は時給やからね。だから毎日出て来ているんよ」
「飛田とかだと、もともと働いていた人がやっているのが多いみたいですね」
「そうみたいやな。飛田の方にも知り合いはおるけど、こっちの人はあんまり一緒にするなっていう思いもあるんよ」
「それは何でですか?」
「こっちは、花街で芸を売る街だったから、売春を表に出して商売してきた飛田と同じに見られることを嫌う人は多いよ。今じゃ、おらんけど十年ぐらい前までは芸者さんもおったしな」
 飛田と今里、色街の賑わいからすると、飛田に大いに水をあけられている。それでも働いている女性には、花街というプライドがあるのだった。それにしても、ここまで賑わいに差が出た理由は何だろうか。飛田は新世界などの観光地からも近く、日本人だけではなく外国人の観光客を呼びやすいということもあるのだろう。彼女なりの見解を聞いてみた。
「やっぱり、地域で街を盛り上げていかないと、ダメになってしまうんちゃうかな。飛田はその点しっかりしてると思うんや。だけどもう無理やろ、経営者がみんな年取ってしまったし、あと何年持つかなというところや」
 大阪でくっきりと明暗が分かれている二つの色街。おばさんの話を聞いていて、何とも寂しい気分になった。
 三十分ほど話していただろうか、店の前に客らしい男たちの姿はなく、聞こえて来たのは、中国語や韓国語だけであった。
 話を終えると、私は彼女に少しばかりのチップを渡そうとした。すると彼女は、それまでの朗らかな雰囲気が一変し、激しく拒絶した。
「そんなんいらんで。そんなために話したんじゃない。もうとっとと帰りなさい」
 その言葉には、色街に生きる彼女のプライドが垣間見えた。自分の商売は女性を充(あ)てがうことで、それ以外のことで金をもらえるかという強いプロ意識といってもよかった。彼女の剣幕に私は這々(ほうほう)の体で、その場を後にしたのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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