よみもの・連載

城物語

第七話『姉の背中(白石城)』

矢野 隆Takashi Yano

 正雪の読み通り、二人のことはすぐに白石城下に広まった。五年前に志賀団七に父親を殺された姉妹が、三人の侍を連れて戻ってきた、と。正雪の目論見はまんまと当たり、当初はそれだけだった噂におおきな尾ひれがついて、十日も経たぬうちに城下は姉妹の仇討ち話一色に染まってしまったのである。
 騒動をよそに、信夫は生まれた村の鎮守の社に侍たちとともに寝起きしていた。五年前のことを知る村の人々から手厚いもてなしを受けている。三食はもちろんのこと、庄屋の屋敷で風呂を借りるという村にいたころには考えられないほど贅沢な暮らしであった。しかし信夫は実感する。姉と己は村人にとっては客人なのだ。家も田畑も売り払った二人に、もはや村での居場所はない。こんな暮らしは長くはつづかないのだ。村人たちの好意にいつまでも甘えているつもりはない。仇討ちを果たす道筋さえ整えば、すぐにでも決行する覚悟だ。その後のことも、かねてから姉と決めている。
 姉妹の噂を聞いた城主、片倉小十郎重長(しげなが)が直々に会いたいと言っているという報(しら)せを受けたのは、白石に戻ってから二十日目のことだった。
 宮城野とならんで、信夫は白石が敷き詰められた本丸の中庭に座っている。燦々(さんさん)と降り注ぐ陽の光をうけて、まぶしいくらいに輝いている小石の一粒一粒を、信夫は宝玉を眺めるかのごとくうっとりと見つめていた。
 白石城は鎌倉のころ、伊達(だて)家の家臣であった刈田(かった)氏がこの地に居を定め、城を構えたことにはじまると伝わる。その後、太閤秀吉によって会津に知行を得た蒲生氏郷(がもううじさと)の家臣、蒲生郷成(さとなり)が盆地の中央にあった丘陵に石垣を築き城塞としての形を整えた。城の北を流れる白石川から引き入れた水で堀を作り、山頂へむかって廓(くるわ)を配した堅城である。
 白石城は蒲生、上杉、伊達と次々と主(あるじ)を代えながらも生き残り、徳川の世となりひとつの国に城はひとつという一国一城令のなかでも、外様でも一、二をあらそう大大名である伊達家の城ということで特例として廃城を免れた。伊達の知行となってからは、政宗(まさむね)の股肱(ここう)の臣である片倉小十郎景綱が領し、いまの城主はその子、重長である。片倉家の当主は代々、小十郎を通称としていた。
 信夫たちがいるのは、山頂の天守脇に設(しつら)えられた本丸御殿の中庭である。城主直々の御召しだということで、さすがの姉もいささか緊張気味だった。どんな時でも饒舌(じょうぜつ)な姉が、麓の堀を渡るころから、ひと言も発しない。おそらく信夫は、姉ほど張りつめてはいないはずだ。心がはげしく動かない利が、こういう時にあるのかと信夫はすこしだけ口許(くちもと)をほころばせる。
「姉さま」
 沈黙に耐えきれなくなり、信夫は隣を見た。姉は白洲のうえに手を置き顔を伏せている。透き通るほど白い姉の頬を見つめながら問う。
「大丈夫」
「正雪様のお蔭(かげ)でここまでくることができた。やっと、父さまの無念を晴らすことができる」
 まだ仇討ちを許されたわけではないのに、姉はすでに涙ぐんでいる。姉の想いに水を差すのはどうかと思い、信夫は目をそらして口をつぐんだ。顔を伏せてすぐ、縁廊下を撫でる衣擦(きぬず)れの音が聞こえてきた。
「御成(おな)りである」
 姉妹の頭のうえに若い男の声が降ってくる。それからすぐに、十人あまりの裃姿の男たちが縁廊下に座った。
「面(おもて)をあげよ」
 姉が目を伏せたままわずかに顔をあげたのに倣(なら)い、信夫も身を起こす。伏目がちに縁廊下のうえを見た。裃姿の男たちの中央に、絹地の衣を着流した六十手前に見える侍が座っている。おそらくそれが白石城主、片倉小十郎重長なのであろう。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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