第七話『姉の背中(白石城)』
矢野 隆Takashi Yano
「この日のために」
信夫は二人を見ると同時に両腕を高々とあげた。長刀の間合いである。二人の睨み合いの邪魔にはならない。
「あ、ほ、う……」
ささやき、信夫は笑った。
とにかく長刀を振って、刃筋を通すことを躰に染みこませろ……。
正雪の声が耳の奥にはっきり聞こえる。
「ありがとうございます」
五年の歳月を迷うことなく刃に乗せた。なにが起こったのかわからぬといった様子で呆然と信夫を見つめる団七の両腕が、宙を舞う。
姉が妹を迎えている。
「信夫ぅぅっ」
団七が膝立ちになって耳をふさぎたくなるような悲鳴を吐いた。声は止まらない。呼吸とともに、哀れな叫びを吐きつづける。苦痛にゆがむ目の前には、肘からさきを失った己の両腕を掲げていた。口から漏れる悲鳴に負けないくらいの勢いで、斬り落とされた腕から黄色味をおびた血をほとばしらせている。
このままでも団七は死ぬだろう。
「先生っ」
仇の弟子たちが叫ぶ。
「尋常にっ」
陣幕から弟子たちを牽制(けんせい)する声が飛ぶ。信夫は姉の背に手をやり、長刀を差しだす。
「本懐を」
長刀を受け取った姉は、泣き叫ぶ団七のかたわらに立った。
「志賀団七。父の仇を取らせていただく」
言うと姉は、迷いなく長刀を団七の首筋に走らせた。首級が血で軌跡を描きながら河原を転がる。父の骸に張りついていた悲嘆に暮れた死に顔よりも凄惨な恐怖が、白眼をむいた団七の首に刻まれていた。首のない死骸のわきにしゃがんだ姉が妹を見あげる。
「信夫」
桃色の唇に微笑をたたえながら姉が妹の名を呼んだ。信夫は宮城野の前に膝を折った。長刀を横に置いた姉の手を握りしめて微笑み語りかける。
「やりましたね」
うなずきあうと、群衆から喚声が沸き起こった。その声に気圧(けお)されて、団七の弟子たちは動けずにいる。
姉が腰の鞘(さや)に手をやる。信夫も己が懐刀に触れた。仇とはいえ、百姓の娘が武士を討ったのだ。その責めはみずからの命で負うと、江戸にいたころからふたりで決めていた。柄をにぎりしめ懐刀を抜く。
「なにしてやがるっ。止めねぇか御侍っ」
群衆のいたるところから、そんな声があがるなか、二人は右手に懐刀を持ち、左手でたがいの肩をつかんだ。
- プロフィール
-
矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。