よみもの・連載

城物語

第七話『姉の背中(白石城)』

矢野 隆Takashi Yano

 信夫は白石城の北を流れる白石川のほとりにいた。このあたりは六本松河原と呼ばれている。穏やかな川の流れに運ばれて、若葉のすがすがしい香りが届く。胸のなかがすっと晴れるような明るい匂いに触れた信夫の心には、五年前のことが昨日のように蘇(よみがえ)る。父が殺されたのも、こんな春の陽のしたであった。五年ぶりに白石でむかえる春は、あの時とおなじように刃に彩られている。
 風よりも冷たい長刀の柄を両手で握りしめ、信夫は河原に立つ。隣には腰に懐刀を差し、鎖鎌を握りしめた姉がいる。ともに白装束だ。この場で死しても構わないという覚悟である。周囲には百を超す人の群れがあった。老いも若きも男も女も、姉妹の仇討ちをひと目見ようと集まっている。彼等は信夫たちの悲壮な決意など知る由もない。気楽に語らいあう声がいたるところから聞こえてくる。緊張した面持ちをした者も多いが、半分ほどはこれからはじまる殺し合いを見物にきた客だった。父が、母が、どのような死に様であったかを語って聞かせてやりたい……。そう思うと、柄を握る手に力がこもる。
「大丈夫、あんたは私のうしろで見守っていてくれればいいから」
「姉さま」
「あの男を殺すのは私の役目」
 つぶやく姉の目は、さっきから一点を見つめたまま動かない。その視線のさきにあるのは、姉が五年もの間、憎みつづけた相手である。怒りや憎しみは奥底に秘められていたが、姉の瞳は深く沈んで穏やかだった。
 鬼。五年前、信夫は男を見てそう思った。しかし、いまあの時のような得体の知れない恐れは微塵も感じていない。目の前にいるのはむさくるしい顔をした侍以外の何者でもなかった。信夫の瞳は姉のように怒りを宿すことも、恐れを露わにすることもない。ただあるがまま、父と母を殺した男を見つめている。
 志賀団七は河原の丸石のうえに設えられた床几(しょうぎ)に座り、付き添ってきた弟子たちとなにやら語らいあっていた。一世一代の晴れ舞台だとでもいわんばかりの緋色の衣を紺の組紐(くみひも)でたすき掛けにし、頭には信夫と同じように純白の鉢巻きを巻いている。談笑する吊りあがった口許が、小娘二人に負けるわけがないという増長を滲ませていた。弟子との会話の合間に、先刻からちらちらと信夫のほうに目をむける。そのねばついた目付きに吐き気がした。見られるたびに白装束を汚されたようで、団七から視線をそらすのと同時に信夫は己の衣の隅々にまで目をやった。
「刻限じゃ」
 信夫たちと団七がいるちょうど真ん中のところに、陣幕が張られていた。陣幕を背にして座る裃姿の侍たちは、小十郎から差しむけられた見届け人である。
「こは公儀から承認された仇討ちである。どのような仕儀に相成ろうと、双方これ以降の遺恨なきよう、屹度(きっと)申しつける」
 陣幕中央に座る男が声高に言った。そして目を団七にむける。
「剣術指南役、志賀団七」
 男の呼ぶ声に答えて団七が立った。それを確認して男は信夫たちのほうに顔をむける。
「白石在、百姓与太郎が娘、宮城野、信夫」
「はいっ」
 すでに姉妹は立っている。男の声に答えると、二人そろって団七のほうへと足を進めた。刃の届かぬ間合いを保ち、両者は見合う。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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