よみもの・連載

城物語

第七話『姉の背中(白石城)』

矢野 隆Takashi Yano

「どんなことがあっても、闇討ちだろうと、私は志賀を討つ。この五年、そのためだけに生きてきました」
「儂の許しなく志賀を殺せば、打ち首は免れぬぞ」
「それでも構いませぬ。かならず……。かならず志賀だけは」
 姉がうつむいて涙を堪えた。しかし城主は動じることなく、語りかける。
「罪を犯すと言う者をこのまま帰すわけにはゆかぬ。仇討ちは諦めると申せ。でなければ、無事にここからは出られぬぞ」
「嫌です」
 姉の目から涙が零(こぼ)れ落ちる。
 やっぱり無理だったのだ。
 姉の熱い想いにほだされ、信夫は心のどこかで仇討ちは叶(かな)うものだと思っていた。正雪だって梢だって、仇討ちを一心に想う姉に心を動かされたのだ。しかし政(まつりごと)はそんなに甘くはない。小十郎の言うことはもっともだ。百姓の娘の仇討ちなどを許していては、領国の規範は成り立たない。
 うなだれて泣き続ける姉の肩にそっとふれた。
「死のう」
 姉は答えない。かすかに震える肩をさすりながら、信夫は言葉を投げかける。
「仇討ちが許されないのなら、父さまと母さまのところへ行きましょう。姉さまとだったら、私はどこへでも行く」
「信夫」
 固く目を閉じ、姉がそれだけをなんとか言った。信夫は姉に代わって、小十郎に答える。
「わかりました仇討ちは諦めます。だからこのまま下がらせていただけませんか」
「下がってなんとする」
 信夫は答えない。
「いまそこで、ふたりで死ぬと申したではないか」
 渋面の城主を黙ったまま見上げる。
「なんとか申せ」
「それしか道はありません」
 ふしぎと心は穏やかである。姉と死ねるなら、志賀の手にかかろうと互いの胸を刺し貫こうと一緒だった。
 信夫はしばし小十郎と見つめ合う。城主の眉間の皺がひくひくと小刻みに揺れていた。
「えぇぇいっ」
 叫んだ小十郎が膝を叩いた。
「この強情者どもめが」
 主の豹変に家臣たちが一様に驚く。
「志賀団七の横暴は目に余る。御主たちが白石を出てからもすでに二人、百姓を手打ちにしたという話が儂の耳にも入っておる。それだけではない。手籠(てご)めにされた娘もおるという。いつかは処断せねばならぬと思うておったところではある」
 姉が涙で赤く腫らした目で城主を見た。
「伊達様の御力を借りて、幕府に掛けあってみてやろうではないか」
 姉がかすかに腰を浮かせる。
「儂は女の涙には弱くての。我が身のために流すものでなければなおさらじゃ」
 照れ臭そうに小十郎が顔を横にむけて二人から目をそらした。
「どのような沙汰が下るかはわからぬが、領内に留まりしばし待て」
 姉が、ふたたび平伏した。信夫もつづく。小十郎が手を貸してくれることよりも、姉の大願への道が開けたことがうれしかった。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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