よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十二回

川上健一Kenichi Kawakami

 水沼は車をスタートさせた。山田はしゃべり続けた。
「夕張はな、何の食べ物屋でも美味いうえに量がタダ(半端)でねんだよ。炭鉱の街だったすけ、経済は炭鉱さ依存してた。炭鉱夫は給料えがったすけ(よかったから)景気もえがった。詳しいごどだば忘れたども、炭鉱夫は昼夜二交代だか三交代で働いでだみてえだ。三交代だば、朝ま、昼ま、ばんげ(夜)と交代する。厳しい肉体労働だ。楽しみは仕事終わった後の美味いメシと酒だった。んだすけ炭鉱夫たちは味と量にはうるへがった。寿司っこでも刺身っこでも肉でも麺類でも中華でも、料金が高かったり不味(まず)がったり量が少ね食堂は敬遠されてつぶれていったんだよ。へだすけ安くて量が多くて美味い食べ物屋が残った。炭鉱夫の生活時間に合わせて、当時は二十四時間営業の店も多がったそんだ。安くて美味くて量が多い。その当時の名残が今でも続いてるんだ。これが夕張の飲食店の特徴なんだよ」

 小さな歓楽街の薄暗く細い道の両側に、点灯していない飲食店やバーの看板が暗がりの中に埋没していた。かつては人通りの絶えない路地で、昼も夜も一日中明るい嬌声(きょうせい)や笑い声で賑(にぎ)やかだったのだろうが、今は人通りも全く無く、所々にポツン、ポツンと店の明かりが寂しげにボウッと浮かんでいた。場末の路地裏のような佇(たたず)まいだった。
 足元が暗くておぼつかない狭い道を山田が先頭に立って歩いた。水沼と小澤はすぐ後ろを並んで歩いていた。
「どうだ。寿司屋もすごいボリュームだったろう?」
 と山田が自慢げにいって振り向いた。まるで地元民のように誇らしげないい方だった。三人はいましがた寿司屋から出てきたばかりだった。山田は寿司屋ではずっと標準語でしゃべっていたので、その流れで店を出てからも完璧な標準語を話している。
「聞きしに勝る、だったな。昼に食ったカレーうどんの量も半端じゃなかったけど、今の寿司屋もシャリはでかいしそれが見えないぐらいにネタがでかいからびっくりだったなあ。酒のつまみの刺身も物凄い量で寿司までたどり着けるか心配になったぐらいすごかったなあ。おかげでもう何にも入らないってぐらいに腹いっぱいだ」
 と水沼は黒いジャンパーの上から満腹の腹をさすった。
「本当だよね。いくら食べてもつまみの刺身が減らないから、ちょっと焼酎飲みすぎちゃって、いい気分になっちゃったよ。でも刺身も寿司も美味しかったよねえ」
 小澤は上着のポケットに両手を突っ込んでフウと息を吐いた。暗がりで顔色は分からないが、寿司屋を出る時は茹(ゆ)でガニみたいに真っ赤だった。昨日来の暖かい夜だった。頬を撫(な)でる柔らかい微風がフワリフワリと火の消えたような歓楽街を漂っていた。小澤は言葉を続けた。ほろ酔い気分で饒舌(じょうぜつ)になっている。
「夕張のおもてなし文化を堪能して腹ごしらえは完璧だね。シネマ街道で日本の映画と世界中の懐かしい映画の看板をいっぱい見て感激したし、『幸福の黄色いハンカチ』のラストシーンを撮影した炭鉱住宅がそのまま残っていて、高倉健さんと倍賞千恵子さんの夫婦が再会するシーンが目の前に甦ってきて、俺は込み上げる感動を抑えきれなくなって泣けて泣けて、もう涙が止まらなくなって気持ちよく泣いたよ。あんだけ気持ちよく泣いたのは久し振りだったなあ」
 ロケ現場の炭鉱住宅で、小澤は人目を憚(はばか)らずに大粒の涙をポロポロこぼして泣いた。腰を折っての泣きっぷりを、見も知らぬ観光客の一団のおっさんたちに笑われてしまったが、その中の一人の婦人がもらい泣きしたようにハンカチでそっと目頭を拭いていた。
「さあて、いよいよ今夜のメーンイベント、フェイク写真ママのクラブに突入だね。若い娘いっぱいいるんだろうな、山田よ」
 小澤の言葉が弾んでいた。寿司屋に入る前まで念仏のように唱えていた眠い眠いの呟きは忘れ去られていた。
「お前なあ、目的はみどりちゃんの行方を探すってことだからな。クラブの女じゃないんだからな。まあ昔は若い娘いっぱいいたけど、今はどうだか分からんな。たぶん今でも新しい娘(こ)はいると思うけどな」
「みどりちゃんまでたどり着けるかなあ」
 水沼は夜空を見上げていった。星は見えなかった。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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