よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十四回

川上健一Kenichi Kawakami

「だからな、大したことじゃないから気にするなって」山田は面倒くさそうに顔をしかめた。「そんなことより、昨日、俺を公正取引委員会だの特捜だのが探してるって分かった時に、この旅を続けようといい出したのはお前なんだぞ。やる気満々だったじゃないか。いうことがコロコロ変わるなんてお前らしくないぞ。前々からいおうと思っていたけどな、お前最近やたらと分別臭くなってつまんねえぞ。みんなを楽しませようって面白いことをしでかして、俺たちをドモハ(イヤハヤ)って呆(あき)れさせてたお前はどこへいったんだ? なあ小澤、そう思うだろう?」
 と山田はいった。小澤は頭を垂れてグラリ、グラリと船を漕(こ)いでいる。だめだなこりゃ、完全にスイッチ切れてる、とぶつくさつぶやいてから山田は気を取り直していった。
「俺のことを気にしてるなら何も心配いらんよ。カミサンは俺よりも度胸が座ってるからそのくらい何よってケロッとするに決まってるっていっただろうが。それにここだけの話、会社だって首になるってことはないんだよ」
「そうだとしても社員の目もあるし、罪人になったら会社での居心地が悪いだろう?」
 それがさあ、違うんだよね、と小澤の物憂げな声が会話に割って入った。寝ぼけ眼で水沼を見ている。山田が目を吊(つ)り上げて、お前、話を聞いていたなら俺が話しかけた時にちゃんと答えろよ、となじるのを無視して小澤がいう。
「あのさあ、この業界はね、談合で罪を背負ったとしても、会社を首になることはないんだよ。会社にしてみたらヒーローなんだよ。世間体があるから役職は解かれるけど、会社の利益のために罪を被ってまで頑張った功労者をクビにはしないの。定年までずっと会社に居させてくれる。昔からそうなんだよ。だから山田も営業部長は辞めさせられるけど、役員の肩書はそのままになるんだよ。役員ってことでずっと会社にいることができるって訳。あんたは罪人なんだからってクビにしてハイさようならってポイっと追ん出したりなんかしたら、もう誰も会社のために談合なんかしないってことになるから、会社の利益にならないから会社としてはそんなことできないの。だから山田の将来は安泰なんだよ。なーんの心配もいらないの。それよりも眠い。もう帰って寝るよ。限界。久々にぐっすり眠れそう」
 小澤は大きなあくびをした。
「もう、ティッシュが無いんだってばあ」
 と背後から泣き声が響いて水沼と山田と小澤はボックス席を振り向いた。ニット帽の女の声だった。分かったから静かにしてよ、店の人にティッシュもらってくるから、とジーンズ女とへの字目笑顔の女がなだめている。
「だいたいカウンターに居る男共は気が利かないわよ。ここは映画の街なのに、誰も映画のようにかっこ良く決める男がいないなんて。こういう時は男の人がサッとハンカチを差し出す。それが映画よ。なのに知らんぷりしてんだから、映画の街が泣いちゃうわ」
 とニット帽の女は聞こえよがしにいった。
「あ……」
 小澤のトロンとしていた目が雷に打たれたかのようにパッチリ見開かれた。あんぐりと口を開けた顔に精気がみなぎっていく。飛び上がるようにスツールから身を躍らせてボックス席のニット帽の女の前に進んだ。ポケットからきっちり折り畳んだグレーのハンカチを取り出す。うやうやしく差し出した。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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