よみもの・連載

雌鶏

第一章2

楡周平Shuhei Nire

 戦争が終結して一週間。
 日本は死の恐怖から解放された安堵(あんど)と、これから先、この破壊され尽くした国が、社会がどうなっていくのか、先が見えないゆえの絶望感が入り混じった奇妙な雰囲気に包まれていた。
 全国の主要都市が空襲で甚大な被害を被ったとは聞いていたし、広島、長崎は新型爆弾で壊滅的な被害を受けたことも知っている。新型爆弾が使われたという一点を除けば同等、いやそれ以上の惨事に見舞われた都市も数多(あまた)あることもだ。
 貴美子の生家があった横浜、そして東京がそうだ。
 昭和十九年十一月二十四日から昭和二十年八月十五日、つまり終戦の当日までの約九ヶ月間に亘(わた)って繰り返された米軍の空襲は、東京だけでも実に百二十二回。中でも三月十日の空襲は最大規模で、被災者は百万人を超え、死者は十万人近くに達した。
 当時貴美子は十五歳。良家のお嬢様が学ぶことで名高い、横浜にある私立高等女学校の三年生であった。
 もっとも、戦争が始まって二年もすると、戦況の悪化に伴い、徴兵の対象年齢が広がる一方となり、生産現場は深刻な人手不足に直面することになった。その穴を埋めるべく、女学生は主に兵器、及びその関連産業の生産現場に動員され、連日早朝から深夜まで過酷な労働に従事することを強いられた。
 貴美子が動員されたのは、立川にある戦闘機の乗員が使用するパラシュートの製造工場だった。軍事関連施設や工場は、真っ先に攻撃対象となる。空襲を受ける度に、死傷する女学生が続出する中で、貴美子は幸運にも難を逃れた。
 やがて軍事関連施設や工場が破壊し尽くされると、米軍の攻撃対象は民間人が暮らす都市部へと変わって行った。
 帝都東京の夜空が赤く染まるのは、ほとんど毎夜の光景で、すっかり慣れてしまった感があったのだが、あの三月十日の夜だけは違った。
 東京の夜空を明々と照らす光量から火勢の凄(すさ)まじさが窺(うかが)い知れたし、何よりも、地響きを立てながら、ひっきりなしに聞こえてくる爆弾の炸裂音、そして焼夷弾の数たるや桁違いで、無数の炎が糸を引きながら滝のように降り注いだのだ。
 しかし、厳重な情報統制下にあって、動員中の女学生が被害状況を詳しく知る術(すべ)はない。
 だから、終戦から四日、動員先の立川から久しぶりに横浜の自宅に帰る道すがら、列車の窓の外に広がる東京の惨状を目の当たりにした時の衝撃は、尋常なものではなかった。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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