よみもの・連載

雌鶏

第一章2

楡周平Shuhei Nire

「食い物はどうやって手に入れたんだ? 金は? 勤労動員じゃ賃金はもらえなかっただろうし、金目のものは家と一緒に全部焼けてしまったんだろ?」
「近所の顔見知りのご婦人に、空襲を逃れた方がいたのです。三月の大空襲で東京が焼け野原になったと聞いて、横浜も危ないかもしれないと、千葉の親戚の家に疎開していて助かったのだそうです。ただ、家を守るために残ったご主人は……」
「なるほど……」
 結末は聞かずとも分かるとばかりに、鬼頭は沈鬱な声で短く言った。
「生死については諦めているけど、せめて遺品か思い出の品になるものをとおっしゃって、度々足を運ばれていたのだそうです。でも、年齢は五十歳を超えておられましたので、瓦礫を取り除くのも大変で、私が手伝うようになったのです」
「すると、そのご婦人が疎開先から手に入れた食料で飢えを凌(しの)いだというわけか」
「はい……」
 貴美子は頷(うなず)いた。「ただ、誰しもが飢えに苦しんでいた時代です。ご婦人の千葉の親戚は農家をしておりましたが、食料を入手するために、金目の物を持参して連日都会から人がやって来るのです。こちらは分けていただくのですから、頻繁にとは参りませんし、量だって僅かなもので……」
「それで、遺品は見つかったのか?」
「何一つ……」
 貴美子は首を振った。「当たり前だと、笑われましたもの」
「笑われた? 誰に?」
 貴美子は黙って、顔の前に左手の薬指に嵌めた指輪をかざした。
「男が現れたのだな」
「はい……」
 貴美子は頷いた。

 終戦から一ヶ月余。日本は復興に向かうどころか、ますます混迷の度合いを日々濃くしていくばかりだ。
 電力一つ取っても、東京や横浜のような大都市の中心部には供給されてはいたが、電柱すら跡形もなく焼失してしまった保土ヶ谷周辺は手付かずのままだ。
 焼失面積が広過ぎることもあったが、それ以前に人手もなければ、復興に必要な物資が圧倒的に不足していたせいもある。
 だから日が落ちると、辺り一帯が漆黒の闇となってしまう。
「貴美子ちゃん? 貴美子ちゃんだろ」
 ちょうど、夕食の芋を茹(ゆ)でていた最中だったこともあって、焚(た)き火の明かりのせいで、声の主人(あるじ)は闇に溶け込み姿が見えない。
 それでも、名前を正確に口にするところからして、知人には違いない。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

Back number