よみもの・連載

雌鶏

第一章2

楡周平Shuhei Nire

「知ってるさ。でもね、貴美子ちゃん、高価な物でも、お金に換えられればの話だろ。持ってるだけじゃ、お金にはならないんだよ」
 なるほど、確かに清彦の言う通りだ。
 あっと声を上げそうになった一瞬の間を突き、清彦は続けた。
「大体、今の日本で豪華な着物や帯を必要としている人がいると思うかい? 値がつくのも、買ってくれる人がいればこそ。買ったところで、使い道がない代物なんて、どこに持ち込んだって売れやしないよ。書画骨董に至っては、偽物が当然のように出回ってんだ。お百姓さんに、真贋(しんがん)を見分けられる目を持つ人が、どれだけいると思う? だったら、後払いでも、確実に金になるほうがいいに決まってるじゃないか。それに後払いは、最初のうちだけなんだからさ」

「なるほど、それは井出という男の言う通りだな」
 黙って貴美子の話に聞き入っていた鬼頭は、ようやく口を開いた。「それで、お前と井出は闇市に店を出すことになったのだな」
「はい、新橋の闇市に……」
「新橋? 横浜ではなかったのか?」
「私が、横浜は嫌だと言ったのです。母親が亡くなった場所から、離れたかったもので……」
「なるほど。それで?」
「食材の調達は清彦が担当し、私とツルさん……あっ、これはそのご婦人のお名前なんですが、二人で料理を作り、店を切り盛りするようになったのです。店は大層繁盛しましてね。確実に代金が支払われると分かるに連れて、食材の質も良くなって参りましたし、時には鶏が入ることもあったのです。売るのは雑炊だけで、売値を抑えるために他の店同様、箸も立たないような薄い代物でしたが、たまに鶏肉が入っていたり、鶏ガラで出汁を取ったりしたもので、大層な人気になったのです」
「そのツルさんとやらがいたとしても、幼馴染(おさななじ)みと二人三脚で店を切り盛りしていれば、恋仲になるのも自然な流れだったというわけか」
「いつしか清彦とは、運命共同体と思うようになっておりましたので……」
 貴美子は頷いた。「手元のお金に余裕ができれば、今度は住まい。そこで、長屋でしたが品川の近くに部屋を借りて、二人で生活を共にするようになったのです」
「それはいつ頃の話だ?」
「昭和二十一年の夏のことでした。三畳一間。台所もなくて、玄関の前に七輪を出して、煮炊きするような粗末な長屋でしたが、とにかくそこで二人の生活が始まったのです」
「なぜ、それを機に籍を入れなかったのだ? 何か理由があるのかね?」
「清彦が事業欲に目覚めまして……」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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