よみもの・連載

雌鶏

第一章2

楡周平Shuhei Nire

「半分こにしませんか? 昨日から何も食べていない人の前で、私だけお芋を口にするなんてできませんもの。それならいいでしょう?」
「いや、しかし……」
「大丈夫です」
 貴美子は断言した。「近所のご婦人と一緒にいる、って言いましたけど、その人今、千葉の疎開先の親戚の家に行っていましてね。そこは農家をやっているので、度々訪ねては、食料を分けてもらって来るんですけど、そろそろ戻ってこられる頃ですので」
「そうか……。疎開先の親戚の家から、食料を分けてもらっているのか」
「だから、私のことは気にしなくていいんです。虫押さえにもならない量ですけど、先生、一緒に食べましょう」
 清彦は、ようやく納得して、サツマイモを二つに折った。そして、その一方を貴美子に手渡すと、
「いただきます……」
 目を合わせたまま言い、口に入れた。
 ツルが縁(えにし)に縋(すが)ってタダで手に入れた代物である。
 親戚といえども稼ぎ時と見れば、善意よりも欲が先に立つ。まして、文字通りの物々交換である。持ち込む品の価値に応じて、品質が変わるのは当然と言うものだ。
 それゆえに、ツルが持ち帰る品々は酷い代物ばかりなのだが、それでも口に入れればサツマイモの味がする。
「ああ、美味(うま)いなあ……」
 清彦の目に涙が浮かび、焚き火の光がそこに反射する。「でも……俺、今、凄く惨めだ……」
「惨め?」
「だってさ、こんな根っこのような芋を食って、染み染み美味いと感じるんだぜ? こんな暮らしがいつまで続くのか、この先、この国はどうなって行くのかと思うと……」
「先生は、帝大を出ているんだもの、いずれ国が落ち着けば……」
「そんな先のことより、明日をどう生きるかだよ」
 清彦は芋を咀嚼(そしゃく)しながら言った。「アメリカが日本をどうするつもりなのか、見当がつかないうちは官庁も企業も動きが取れないからね。それに帝大出だって言うけどさ、繰り上げ卒業だし、使ってくれる先がないんじゃ生きていけやしないよ」
 清彦の言う通りである。
 貴美子にしても、近所の顔見知りだったツルが運んでくる農産物のお裾分けに与(あずか)れるからこそ、何とか生き抜いてこられたのだ。もし、彼女と出会えなかったら、粗末とはいえ彼女に食料を調達できる伝手(つて)がなかったら、とうの昔に餓死していたか、あるいは身を売って金を稼ぐことになっていたかもしれないのだ。
 そこに改めて気がつくと、貴美子は恐怖を覚えた。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

Back number