よみもの・連載

雌鶏

第一章2

楡周平Shuhei Nire

「戦(いくさ)って言うのはね、今も昔も、何も変わっちゃいないんだ。兵は殺(や)るか殺られるか、己の命を懸けて殺し合う。もちろん戦場となった地域の住民も巻き添えを食う。家、畑、家財道具を失うのはまだマシさ。逃げ遅れれば命を失うことにもなりかねない。そして、戦には混乱がつきものだ。混乱……つまり、カオス、どさくさは財を得る絶好の機会と捉える輩が必ずいるんだよ」
「それが、戦場荒らしというわけですね」
「そんなやつらからすりゃ、焼け跡や空襲の跡は宝の山さ。人間は木っ端微塵になっても指輪、宝石は無事だ。黒焦げになった焼死体だって、金歯に銀歯、指輪なんかは溶かしゃいい値になるんだもの」
 清彦は冷え冷えとした声で言い、短い間を置き話を続ける。
「大半の人が惨劇の恐怖に駆られている間に、そんな輩が真っ先に現場にやって来て、金目のものを漁(あさ)りまくるんだぜ。焼け残った遺品が見つかると思うかい? 連中にとって、悲劇、カオスは絶好の稼ぎ時以外の何物でもないんだぜ?」
 清彦の言うことは、もっともだと思う。
 人間の奥底に必ずや潜んでいる、あらゆる負の感情が爆発的に噴き出すのが戦争だ。そして正気ではいられない、狂気に走らなければ、耐えられないのが戦争である。
 しかし、貴美子は清彦の言を肯定する気にはなれなかった。
 ただでさえ日本社会は、未曾有のカオスの真っ直中(ただなか)にある。今、貴美子が心から欲しているのは絶望ではない。ささやかでもいい。根拠がなくともいい。前途への希望だったからだ。
 行動を共にしているツルは、三日前に千葉に行ったきり。ただでさえ、乏しい食料は、根っ子のように細いサツマイモを二本残すだけである。
 節約を重ねていてもこれだから、常に空腹感を抱えていたのだが、こんな話を聞いてしまうと、食欲も萎えてしまう。
 そこで、貴美子は清彦に問うた。
「先生、夕食は?」
「いや、まだだけど」
「だったら、お芋召し上がります?」
「芋? 芋があるの?」
 目を軽く見開く清彦に向かって、貴美子は微笑(ほほえ)みながら、黒く焼け焦げた鍋の蓋を開けた。
 小さな、そして痩せたサツマイモが一本、煮えたぎる湯の中で泳いでいる。
「これ、貴美子ちゃんの夕食だろ? しかもこんな小さいのに……」
 そう言いながらも、清彦の喉仏が、上下するのを貴美子は見逃さなかった。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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