よみもの・連載

雌鶏

第一章2

楡周平Shuhei Nire

 それも道理というものだ。
 万事において軍優先の時代が続いて来たとはいえ、食糧事情が厳しいのは同じで、一般国民よりもマシと言った程度のことでしかない。
 しかし、一旦港を離れれば、次の寄港地まで補給が効かない軍艦は別である。航海中の食料を、それも全艦船分だけ確保しなければならない海軍では備蓄も多く、陸上勤務の兵士の食糧事情は陸軍よりもはるかに恵まれていることを知っていたからだ。
 空腹が日常となっていた人間と、満たされていて当たり前であった人間とでは、空腹感に大きな開きがあるに決まっている。
「私、昼にもっと大きなお芋を食べたから、そんなにお腹空(なかす)いていないんです。それに、空腹には慣れているので……」
 貴美子は真偽をない交ぜにして答えた。
「ほ、本当にいいの?」
 貴美子は、ニコリと笑って頷いた。
「じゃあ、遠慮なく……。俺、昨日から何にも食べてなくて……」
 貴美子が箸で摘(つま)んだサツマイモを差し出すと、清彦は「あチチ」と言いながら、左右の手を交互に使って粗熱を取る。
 そして、その動作を何度か繰り返したところで、
「いただきます!」
 と言い、大口を開けながら貴美子に視線を向け、かぶりつこうとしたのだったが、そこで動きを止めた。
 食欲が失せたのは本当だが、次はいつ食べ物にありつけるのかという内心が、貴美子の表情に現れてしまったらしい。
 清彦は情けない表情になると芋を見詰め、ため息を吐(つ)いた。
「これじゃ、無謀な戦争に走った軍のお偉方と同じだよな……。確かに、兵隊は命がけで戦った。飢えに苦しんだ挙句、餓死した兵隊も大勢いたさ……。だけど、命を失ったのは兵隊だけじゃない。老若男女、もっと多くの国民が命を失ったし、飢えに苦しんだんだ……。だけどさ、戦争を始めた連中の大半は、前線に立つこともなくのうのうと生き延びた。戦中も飢えに苦しむ国民を尻目に、たらふく食っていやがったんだ……」
 そこで、清彦は貴美子に視線を向けてくると、「貴美子ちゃん……。俺、この芋は食えないよ。君が苦労して手に入れた大切な食料をもらうわけにはいかないよ。これじゃあ、戦争始めたあいつらと同じになってしまう」
 サツマイモを差し出してきた。
 清彦の考えは十分理解できるが、昨日から何も食べていないと聞かされたからには、素直に従えるわけがない。
「もう、軍人も民間人もないんですよ。これからは、皆一様に苦労を強いられることになるんですから……」
 貴美子は言い、さらに続けた。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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