よみもの・連載

雌鶏

第一章2

楡周平Shuhei Nire

「事業欲?」
「今までとは違って象徴として、天皇制が維持されることになり、新憲法も制定されたことで、日本は独立国家として存続することになりました。ただ、清彦は日本は敗戦国だ。アメリカの影響下で生きて行くことになる。つまり、アメリカの特長である民主主義、資本主義の時代がやってくる。ならば、自分は資本家になると言い出したのです」
「籍を入れることと、資本家を目指すのは別の話じゃないか」
「ちょうど、新橋の闇市の大半が取り壊されたこともあったのです。確固たる生活基盤を築いた上で、私を妻として迎えたいと言いまして……」
 今にして思えば、困難な時期を夫婦として二人で乗り切ることができれば、絆(きずな)がより一層深まったようにも思えなくもない。しかし、当時は天涯孤独の身になって日が浅いこともあったし、淡い恋心を抱いていた清彦と一緒に暮らせるだけでも嬉(うれ)しかった。なによりも、一日でも早く、確固たる生活基盤を築きたいと切望していたのは貴美子も同じであったのだ。
 貴美子は続けた。
「実際、終戦から一年も経つと、銀座も往時の賑わいを取り戻しつつありましたし、日本が復興に向けて動き出しているのを実感するようになりました。そんなこともあって、彼は焦っていたのではないかと思うのです」
「焦っていた?」
「カオスには大きなチャンスが眠っている。なぜならカオスには法も秩序もない。なんでもありだ。才覚一つでのし上がることができるからだ、と常々口にしておりましたので……」
「なるほど」
 まさに鬼頭がそうなのだ。
 果たして鬼頭はニヤリと笑うと、
「それで?」
 話の先を促してきた。
「私とツルさんは闇市が取り壊される直前に、手持ちのお金の一部を使って、田町(たまち)で小さな食堂を始めたのです。清彦は、食材の調達に出向く傍らで、何か事業を始めようと、伝手を頼って朝から晩まで出かけるようになりまして……。そんなところに事件が起きたのです」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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