よみもの・連載

雌鶏

第一章2

楡周平Shuhei Nire

「ご家族は?」
 貴美子がそう訊(たず)ねた瞬間、清彦の顔から一切の表情が消え去った。
 そして、絶望的な眼差(まなざ)しを浮かべ、首を振る。
「軍の中にいれば、横浜が大空襲に遭ったって話は耳に入るし、特に保土ヶ谷は被害が大きかったってこともね……。それも焼夷弾が使われた。保土ヶ谷一帯は焼け野原だって聞いて覚悟してたけど、まさかここまで酷いとはね……」
「お母様は信州のご出身でいらっしゃいましたよね。疎開はなさらなかったのですか?」
「お袋は、保土ヶ谷愛国婦人会の会長だぜ? 疎開どころか、被服廠へ奉公に出ていたし、親父はこのところ体調が悪くて、床に就くことが多くなっていたもんでね……」
「明彦(あきひこ)さんは?」
 貴美子は、都内の私立大学の学生で、清彦の二歳違いの弟の名前を口にした。
「あいつ、学徒出陣で配属された陸軍で爆撃機の操縦員になって、岩手の北上(きたかみ)にある後藤野(ごとうの)飛行場にいたんだ」
「岩手は、それほど激しい空襲を受けなかったのでは?」
 地名から想像するに、大変な田舎に違いない。むしろ、そんなところに陸軍の飛行場があったのが貴美子には意外だった。
 ところが、清彦は言う。
「そんなことはないよ。岩手の釜石(かまいし)には大きな製鉄所があって、報道統制のせいで一般の人は知らないだろうが、七月十四日に米軍艦の艦砲射撃で壊滅的な被害を受けたんだ」
「七月十四日って、終戦間際のことじゃないですか」
「それで、兵役を解除されたその足で、岩手に行ってみたんだよ。両親が無事でいるなら、ここに来れば会えるだろうけど、明彦のことが気になって仕方がなくてね。陸軍だって終戦直前まで特攻をやっていたから、釜石が攻撃されたとなれば、直近の部隊に特攻命令が出たんじゃないかと思ったのさ」
「まさか、明彦さんは……」
 その先を口にするのが恐ろしくなって、貴美子は言葉を飲んだ。
「やっぱり特攻出撃の命令が下ったそうでね」
 果たして清彦は言う。「もっとも、まともな飛行機はほとんど残ってないし、部品だってまたしかりだ。整備兵だって、まともな教育、訓練を受けていない素人同然の人間しか残っちゃいない。特攻に向かったものの、敵艦を見つけられないでいるうちに明彦が乗った機体のエンジンに不具合が生じて、途中で引き返したって言うんだよ」
 存命ならば、前置きはせずに、結論を最初に告げるはずである。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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