よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第六回

川上健一Kenichi Kawakami

「そのことなんだけどさ、ちょっとおかしいと思わない?」
 と小澤がいう。
「何がおかしいんだ?」
 山田が振り向く。
「公正取引委員会がお前の行方を追っているってニュースではいってたけど、空港でもゴルフ場でも逮捕されなかったじゃないか。日本の警察とか特捜部とか公正取引委員会とかの捜査機関は世界一優秀だから、お前が函館行きの飛行機に乗るっていうのも、レンタカーを予約してるのもゴルフ場を予約してるのも分かっているはずだよ。なのに空港でもゴルフ場でも待ち構えていなかった。ということはお前の行方は追っていないということなんじゃない?」
「そんなことはないだろう。ラジオのニュースでは公正取引委員会が行方を追っているといってたじゃないか」
 水沼は笑顔を消していう。
「追っているとはいってたけど、指名手配したとか、逮捕状が出たとかはいってなかったじゃない。山田。お前、航空券とかレンタカーとかゴルフ場は本名で予約してたんだろう?」
「当たり前だ。ちゃんとスティーブ・マックインという名前で予約してある」
「十和田語をしゃべれるスティーブ・マックインなんてきいたことないよ。それにスティーブ・マックインはそんなに顔が壊れちゃいないよ」
 小澤は鼻でせせら笑う。山田のヘタな冗談には慣れっこだ。
「やがましね。お前ね、人の面っこをいえた面が?」
「確かに小澤のいう通りだな。どうして捕まえられなかったんだろう?」
 と水沼は軽く首をひねる。
「まあ普通こういう事件は、公正取引委員会が容疑者に任意で出頭を求めてあれこれ確かめて、それで容疑が固まれば検察に告訴して、それで逮捕状が出て逮捕って段取りだ。俺は家を出たのも朝早かったし、会社にも行ってないから俺を捕まえることができなかったんだな。今頃公正取引委員会は俺が北海道に来てることを突き止めただろうけど、後手に回って空港でもレンタカー屋でもゴルフ場でも捕まえることができなかったんだろう。こっちは今日捜査が入るなんてことはまるで知らなかったけど、天の助けというか、間一髪セーフってやつだな。これも日頃善行ばっかりしてるから、神様が最後のゴルフを楽しみなさいってゴルフのご褒美をくれたんだな」
 山田は一人で納得して面白そうに笑う。
「談合事件の首謀者がいうセリフかよ」
 小澤がズバリと切り込んで苦笑する。
「じゃあ、ラウンド終わってクラブハウスに帰ったら公正取引委員会とか特捜部の人間が待ち構えているんじゃないか?」
 水沼は小澤を見やる。
「そうだよね。それで取調室に連れて行かれるかも。テレビとか新聞のカメラマンとかが一杯来ていてさ、俺と水沼がインタビューされるかもね」
「お前らその時はピースサインなんか出してニッと笑うんじゃないぞ。あくまでも真面目くさった顔で、山田ほどいいやつはいない、男振りはいいし、頭はいいし、友達思いで、親孝行だし、超真面目なやつだし、女にもてるし、そんなやつが談合だなんて何かの間違いだ、きっと何か理由があるに違いない、とても信じられないってへるんだぞ」
 山田は悪びれた様子を微塵も見せずにニンマリと笑う。
「余裕かましてるけど、お前怖くないの? 一巻の終わりなんだぞ。これまでのキャリアも信用も一瞬でパーになっちゃうんだぞ」
 小澤は真剣な表情だ。
「まあ、仕方ないな」
 山田はサバサバした口調だ。
「それもこれも承知の上ってことか」
「とにかく今は、これからしばらくできなくなるゴルフを楽しむさ。神様のご褒美だすけな。上がって、クラブハウスで公正取引委員会だか特捜部だかが待ち構えていたら素直に任意同行に応じてやる。それでいいってことだ。ケッセラッセラーだ」
 山田は鼻唄まじりに乗用カートに歩いていく。
「そうだな。なるようにしかならないよな。とにかく俺たちは、山田の事件は何も知らないで夏休みを楽しんでいるってことだよな」
 水沼は小澤に目配せする。小澤はうなずき、二人は山田の後に続いて乗用カートに向かう。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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