よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第七回

川上健一Kenichi Kawakami

「海坊主の二六のニコライ帽がママハゲ三之丞の頭に乗っかったくだりは又の機会として、それ以来ニコライ帽をかぶった三之丞はニコライ・ママハゲ三之丞が正式な通り名となり候(そうろう)。ベベンベン! この三之丞、ジョン万次郎と同じで大の中トロ好き、どうしてこうも漁師さんは中トロが好きなのでありましょう。この中トロ好き同士、互いに意に反していたとはいえ同じようにアメリカ大陸に渡ったのですから、中トロの力はあだやおろそかにはできません。さて、津軽海峡は今も昔も本マグロの漁場でありますから、三之丞もトロが食いたくなると津軽海峡にえっちらおっちら櫓(ろ)を漕ぎ出します。冬のある日、天気もいいから中トロで一杯やりたいなと津軽海峡に勇んで出かけるも、釣り場に到着したら一転俄(にわ)かにかき曇り、あっという間に津軽海峡冬景色。パンッ、パパンパン! 三之丞の小さな手漕ぎ船はジェットコースターに乗っているように上を下への一人大騒ぎでD難度連発の床運動さながら、三回転、四回転、三ひねり四ひねりの連続で、そりゃあもう大変な騒ぎさッ、ってなもんであります。しかも寒かったので浜を出てからドブロクを飲み続けていたからさあ大変。アルコールが体中をあっという間にグルグル一万回転もしてしまってヘベのレケ。気が遠のいてプツンと切れちゃった。パンッ、パパンパン! 大嵐で気を失ったら土左衛門が相場と決まっていますが、どうした運命のいたずらか、三之丞、あれ? っと気がついたら鏡のようなまっ平らな青い海にポッカリと浮かぶ小さな島の上に独りぼっち。ああ助かったとホッとしたのも束の間、ここはどこだろう? さてこれからどうしたもんかと途方にくれた矢先、あろうことかこの島がグラグラと動き出した! ああ、哀れニコライ・ママハゲ三之丞の運命はいかに!? パンッ、パパンパン! ウワッ、何だこりゃ! 地震か!? 火山の噴火か!? どうしようどうしようとニコライ・ママハゲ三之丞、またまた一人大騒ぎしていたら、背中をかすめてどでかいモリが飛んできてブスリ! 島に突き刺さった! パパンパン! な、な、何事だと驚いて振り向けば何艘もの小舟に乗った異人のクジラ捕りだった。あー、もうお分かりですよね、島はクジラだったんです。もちろんクジラは大暴れで三之丞は海に放り出された。ジョン万次郎と同じ、というかこっちの方が先なので、正確にはジョン万次郎が三之丞と同じということだけど、三之丞はクジラ船団の一員となってアメリカへと大冒険の旅へ。ベベンベン! ところが運の悪いことは重なるものでまたまた大嵐に遭遇して二度目の遭難。今度は本物の陸地に流れ着きました。地元漁師の面々が手助けし一命をとりとめたのですが、三之丞にはいったいどこに流れ着いたのかてんで分からない。当然のことですねえ。何しろ津軽海峡より外に出たことがないんだから。衰弱している上に飲まず食わずだったものだから頭がボーッとしてしまい、息も絶え絶えにずうずう弁でここはどこだと身振り手振りで尋ねるもまったく通じない。向こうも何かいって尋ねているんだけど、ボーッとしている上に言葉が違うからさっぱり訳が分からない。きっと腹が減っているからボーッとしていると思ったのか、漁師の娘さんとおぼしきそれはそれは長い黒髪、目の大きな鼻スジがすっと通ったステキな娘さんが食べ物を持ってきました。生来の女好き、女に色目を使ってやさしくいえば通じるかもと三之丞、ここはどこ? と大地に手をひらひらさせ、やさしくウインクしながら尋ねます。すると娘さん、笑いながらホンジュラス、ホンジュラスといいました。パンッ、パパンパン! が三之丞、耳に入る言葉も訛(なま)って理解するものだから、ホンジナシ、ホンジナシ。三之丞は声に出して復唱します、ホンジナシ、ホンジナシ。訛っていうものだから、娘さん、漁師の衆は大笑い。ああ、きっと俺がボーッとして何も分からないから笑われているんだ、そうか、何も分かっちゃいないアホのことをここの人達はホンジナシというんだと三之丞、勝手に解釈、ああそうか、俺はどこにいるんだか分からないからホンジナシか、そういうことだなあと納得したのでした。それから波瀾万丈の旅をしてアメリカにたどり着き、途中省略、その一年後に極東に出る捕鯨船に乗ってやっと八戸まで帰り着き、大間へと戻ったのでした。ベベンベン! 以来ニコライ・ママハゲ三之丞、このホンジナシをやたらと連発し、広く青森に定着して立派な十和田語にもなったのです。めでたしめでたし。これがホンジナシの語源。これ本当の話。はい、どっとはらい(お終い)」
 息もつかせぬ勢いで延々としゃべり続けた小澤はくたびれはてたのか、ふうっと大きな吐息をひとつ。それからほどなくして寝息をたてて眠りこけてしまった。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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