よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十六回

川上健一Kenichi Kawakami

「あんたはどうなのよ?」ジーンズ女は水沼を見据えた。「あんたが初恋の人に会いたいっていうのはセックスが目的なんでしょうウ?」
「ちょっとタマエってば。いきなりそういう質問は失礼よ」
 とへの字目笑顔の女はいった。
「確かに愛する人とのセックスは感動的だと思うけど」と水沼はいった。「初恋の人に会いたいと思ったのはセックスしたいからじゃない。もう一度会ってみたいという気持ちだけで、セックスなんてまるで考えもしなかったなあ」
「こいつはねえー、アー、意外と真面目なんだよねー、ウーン、広告やってるからー、不真面目で頭が柔らかいと思うんだけどー、結構真面目、柔らか頭の真面目」
 小澤がろれつが回らない声を出す。
「そうそうそう」と山田。「こいつはね、昔はみんながアッと驚く突拍子もないことしでかす面白いやつだったんだけど、大人になったら変に分別臭くなっちゃってさ。この歳になると楽しく生きて笑わなくちゃ自分の人生に申し訳ないって悟ってもよさそうなのに。だけどさ、楽しく生きて笑ってばかりいるとバカになるかもな、俺みたいにさ、アハハハハ」
「その通り!」突然小澤が勢いよく立ち上がって山田を指さす。「お前はあ、バカになったからー、アー、会社のために、自分の人生を犠牲にするなんて、ウー、超、超、超バカなことをやっちゃうんだよなあ。ま、アー、でも、超バカだと思うけど、ウーン、まあー、俺はー、そういうお前は嫌いじゃない、ウン」
 いい終わると糸を切られた操り人形のようにソファーに崩れ落ちた。
「楽しく生きるってバカじゃできないわよ」とジーンズ女がいった。「楽しく生きるってテクニックがいるのよオ。バカじゃテクニックを身につけられないと思うわア」
「ということは、宴会部長さんはテクニシャンってことね」
 とニット帽の女。
「いやあ、そんなでもないよ。面と向かってテクニシャンなんてほめられると照れちゃうなあ」
「何か勘違いしてない? ニヤニヤしちゃって、いやらしいこと考えてるわね」
 ジーンズ女は山田をにらんだ。それでも視線に険しさはなかった。口の端が意味深に弛(ゆる)んでいる。
「え、いや、とんでもありません。いやらしいことなんて考えてもいません。今の時代はいやらしいことを考えただけでもセクハラで訴えられかねないからね。くわばらくわばら」
「何だ、つまんない」

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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