よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十六回

川上健一Kenichi Kawakami

「カノコさんたちはどんな旅なんですか」
 と水沼はいった。
「これといった目的はないんです。旅行シーズンの隙間の北海道をのんびりドライブしながらおいしいものを食べようというどうということもない食い気の旅です。夕張は映画好きのモッチのリクエストで寄ることにしたんです。夕張は炭鉱閉鎖とか財政破綻で疲れ切っていてどん底みたいですけど、あのバーのママさんのような人がいれば必ず元気になるって予感がしますわ」
「元気の塊の強烈なママでしたね」
「とってもきれいでスタイルもいいし、男女の垣根を超越した魅力的なママさんでしたね」
 ウエイターが音もなくやってきて彼女の前にコーヒーを置いた。白い湯気がうっすらと立ち上っている。彼女はコーヒーカップを優雅に持ち上げた。水沼は彼女の手を見た。バーにいた時は照明が薄暗かったので気づかなかったが荒れた手だった。若くはない。マニキュアをしていなかった。もしかしたら透明なマニキュアなのかもしれないがとにかく色はついていない。笑顔の彼女は一口飲んでおいしいと微笑んだ。見る者を朗らかにさせる笑顔だ。水沼は釣られて笑った。彼女はコーヒーカップを置いてから話の糸口をみつけたようにへの字目を向けた。
「私たちは、タマエとモッチの二人が私を元気づけようという旅なんです。二年前に主人が亡くなって、引き籠もりがちになった私を、タマエが、メソメソしてじっと家に籠もっている暇なんかないわよ、あんたの旦那は旅が大好きだったんだから、まだ二人で行ったことが無い所にいっぱい行って、いつか旦那が待っている所に行った時に、あそこはこうだった、ここはこうだったって土産話を持っていってあげなきゃ、って誘ってくれたんです。それが何回も続いて、今回は北海道なんです」
「そうでしたか。ご主人お亡くなりになったんですか。タマエさんとモッチさんはいい友達ですねえ」
「ええ。宴会部長さんと小澤さんもいいお友達じゃありませんか。水沼さんの初恋の人を探す旅につき合ってくれたんですものね」
「どういう訳か宴会部長が張り切ってるんですよ。小学生か中学生の時の私に借りがあるといって、それがどんなことだったのかはいわないんですけど、お前の初恋の彼女を探し出してその時の借りを返したいと入れ込んでいるんです。私にはそんなことをした覚えはまるでないんですけどね」
 水沼は苦笑してコーヒーカップを口に運んだ。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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