よみもの・連載

雌鶏

第三章2

楡周平Shuhei Nire

   3

 申し出を快諾した北原(きたはら)と一緒に、清彦(きよひこ)は尼崎に向かった。
 電車が尼崎に近づくにつれて車窓を流れる光景が、まるで時間が逆行するかのように変化していく。
 梅田界隈(かいわい)は東京の繁華街同様復興が進み、戦禍の痕跡を窺(うかが)わせるものはあまり目につかなかったが、急造の一軒家やバラック同然の長屋が軒を連ねるようになる。
 北原によると、工場地帯である尼崎は米軍の空襲に遭ったものの、工場群の被害は比較的軽微で、駅を中心とした商店や住宅が密集する一帯が焼け野原になったのだと言う。
 街が醸し出す雰囲気、路上を行き交う人々の身なりからして、所得水準の低さが知れるのだが、それは街金業者にとって有望な市場であることを意味する。
 なぜならば、街金の利用者は、今すぐに金が必要な人間、それも与信に問題があって、融資を得られぬ中小企業の経営者や日々の生活費に事欠く貧困者、博打(ばくち)や酒の誘惑を断ち切れぬ金銭感覚に問題がある者が大半だからだ。
 果たして北原は言う。
「アマは客に事欠かんのですわ。工場(こうば)の労働者の給料なんて知れてますし、家持ちはそないいてませんから、家賃払うたら食うていくのがやっとですわ。そうは言うても、人間は煩悩の塊でっさかい、酒を飲みたくもなれば、女を抱きたくもなりますわな。そこで博打に走るんですわ。首尾よくあぶく銭を掴(つか)めば、酒に女。ここら辺の一軒家は、ほとんど飲み屋、料理屋やし、一つ先の出屋敷(でやしき)はチョンの間がぎょうさんあって、あぶく銭手にして気が大きゅうなった人間が落ちてくるのを、口を開けて待っとるんですわ」
「亭主が博打に走れば、奥さんは生活費に困るよな。子供がいるならなおさらだ。そこで街金にやってくるってわけか」
「まあ、そういうのもぎょうさんおりますなあ」
 北原は、他人事のように軽い口調で返してくる。
「それじゃ借金は増える一方じゃないか?」
「耳を揃(そろ)えて返してもらわんでもええんです。利子さえ払うてもらえれば、元本がいつまででも残りますよって、むしろ安定した儲(もう)けになりますのでね」
「その利子の払いが滞るようになったら、どうするんだ?」
「同業者を紹介するんですわ」
 北原は、あっさりと言う。
「利子も払えんようになった客に金を貸すやつなんているのか?」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

Back number