よみもの・連載

雌鶏

第三章2

楡周平Shuhei Nire

 それは清彦の月給が五万円になったのとほぼ時を同じくして、森沢が一人娘のミツを事務所で働かせ始めたことからも明らかだった。
 その時ミツは二十二歳。取り立てて美人というわけでもなく、かといって醜女でもない。外見はごく普通の妙齢の娘だったが、金に不自由しない家庭環境で育ったせいか、大らかで明るく、かつ気立もよく、さらに幼少期から算盤(そろばん)を習い、女学校を出てから経理を学んだとあって、仕事の覚えもなかなかのものだった。
 淀興業で働き始めて改めて気づいたことに、金貸し稼業は待ちの商いということがある。
 考えてみれば、当たり前のことなのだが、金に困った人間が、金を借りに自ら足を運んでくるのだ。だから、街金の従業員の仕事は、帳簿の管理と取り立ての二つと言っていい。
 手形金融もまた同じで、最初の何件かは、森沢が旧知の会社経営者に話を持ちかけたのだったが、口伝てに話が広まるにつれ、尼崎はおろか、神戸、大阪の中小企業経営者が、手形持参で事務所を訪れるようになった。
 清彦の仕事は持ち込まれた手形の管理と金の出し入れ、ミツは帳簿付けと金利の計算。とくに外出をする用件もないので、事務所で顔を突き合わせて仕事をしていれば、恋愛感情が芽生えるかどうかは別として、距離が縮まるのは当然のことだ。
 もちろん、森沢の狙いがそこにあるのは先刻承知だ。
 いずれ独立して街金で身を立てたいと考えているのは、初対面の時に森沢に告げてある。今回の手形金融の大成功で、清彦が金貸しの才を有しているのは証明されたと言っていい。こうなると清彦を手元に留(とど)めておきたくなるに決まっているのだが、ならばどうするか……。
 確実、かつ実効性のある手段は一つしかない。
 清彦を身内にすること。ミツを娶(めと)らせることだ。
 もちろん、貴美子に対する清彦の想いは、いささかも揺るぐものではなかったのだが、手形金融を始めて改めて気づかされたのにはもう一つ、生半可な資金力ではこの商売はできないということがあった。
 その点が、個人相手の金貸し稼業とは根本的に異なるのだ。
 個人への貸付額は、数百円から数千円なのに対して、手形は十万単位は当たり前。百万を超える融資もざらなのだ。
 これも朝鮮特需がいかに大きいかの証左なのだが、百万円の蓄財があれば『長者』と称されるのに、それを上回る額の手形が日々持ち込まれてくるのである。
 これほどの大金が、日々右から左へと流れていく様を目の当たりにしていると、月額五万円の給与も取るに足らないもののように思えてくる。同時に、どう頑張ったところで貴美子が出所してくるまでに貯まる金は、精々庶民相手の街金を始められる程度で、手形金融など夢のまた夢だと思うようになってきた。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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