よみもの・連載

雌鶏

第三章2

楡周平Shuhei Nire

「ミツさんを嫁に……ですか?」
 ほうら、やっぱり……。
 予想していたことだったが、それでも清彦は困惑した表情を浮かべて見せた。
「驚くほどのことかいな。毎週、あんたを連れてここに来るのも、ミツの婿にと見込んだからや。賢いあんたのことや、とうの昔に気がついとったやろ?」
「はあ……。それは、まあ……」
「こない豪勢な暮らしができるようになったんは、あんたのお陰や。感謝もしとるし、恩も感じとる。どないしたら、あんたの働きに報いることができるか、感謝の気持ちを示すことができるか、ない知恵を絞って考えてな。ワシが一番大事にしとるもんを、あんたにあげる。それしかないと思うようになったんや」
 ものは言いようとはよく言ったものだ。
 一番大事なものをどう評価するかは相手次第。虫が良過ぎる理屈だが、森沢にしてみれば、必死に考えた挙句の言葉であろう。
 しかし、二つ返事で応じたのでは、待ってましたと言わんばかりだ。
 黙って盃に手を伸ばした清彦に、
「でな、できれば婿に入って欲しいねん……」
 森沢は、清彦の反応を窺うように声のトーンを落とす。
「婿に……ですか?」
「そうや」
 森沢は頷く。「あんた、身内がおらへんのやろ?」
「ええ……」
「それでも守らなならん墓もあるやろけどな、墓守なんぞ、姓が変わってもできるやろ。それになあ、手形金融はこれから先もぎょうさん金を稼いでくれる思うねん。となればや、ワシが手にした財産を誰が継ぐか言うたら、ミツや」
 森沢にはミツの兄にあたる二人の息子がいたのだが、どちらも戦死したと北原から聞いたことがある。しかし、森沢本人が自ら息子たちのことを語ることはなかったし、ここに至っても一切触れようとしないのは、彼の胸中に残る傷の深さ、無念さゆえのことであろう。
 黙って頷いた清彦に、森沢は続ける。
「ミツは、ワシの掌中の珠(たま)や。どこに出しても恥ずかしゅうない、立派な婿さんを迎えてやりたい思うてんねん。そやけどなあ、ワシには学がない。金は唸(うな)るほどあっても、所詮成り上がりの金貸しや。そら、金の威力は絶大や。話を持ち掛ければ、婿になりたいいうやつは、なんぼでもおるやろけどな、金の力で連れてきたやつとミツを一緒にさせるわけにはいかへんのや」
 これも北原から聞いた話だが、森沢は高知の小さな漁村に漁師の三男坊として生まれた。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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