よみもの・連載

雌鶏

第三章2

楡周平Shuhei Nire

「朝鮮戦争特需のお陰で、低迷していた景気は一転、急速に上向き始めています。仕事はいくらでもあるのに肝心の運転資金がない。それは、何も中小企業に限ったことではありません。大企業もまた同じなのです。だから、支払いまでに猶予がある手形が重宝されるわけですが、この決済方式の利益享受者は元請けの大会社で、下請け、孫請けと階層を経るごとに、決済までの期間が長くなり、資金繰りが苦しくなるという難点があるんです」
「これもあんたの言う通りやな……」
 森沢は感心した様子で頷く。「換金価値があるいうても、実際に金を手にするまでは、ただの紙切れやしな。裏書きすれば金になるいうても、下手な相手に渡すこともできへんのやさかいな」
「しかも、原材料の仕入れ代金や諸経費も含めて、事前の支払いは一切なし。納品して初めて手形を受け取れる。その上、金を手にするまでさらに時間がかかるんですよ。仕事は舞い込むのに、すぐに金にならないんじゃ、仕事が増えれば増えるほど、資金繰りは苦しくなるばかり。朝鮮戦争が続く限り、いや、この特需で日本経済が息を吹き返せば、ずっと続くことになるんです」
「金が入る日が確実に分かっているなら、端から金利分を引かれる今までの手形金融よりも、日歩の方が遥かにええわな。確かに、商売繁盛間違いなしかもしれへんな」
 森沢も、合点がいったとばかりに眉を開く。
「二枚目の手形に、同じ条件をつけたとしてもね……」
 この清彦の言葉には、さすがの森沢も仰天し、
「何やて! 二枚目にも利子つけるんか?」
 声を裏返させ、呆(ほう)けたように口を開ける。
「金が入る日の目処(めど)がついているのに、それでも借りにくるのは、よほど資金繰りに困っていることの証ではないですか。まして日歩ですからね。もう一枚の手形にも利子がついても、早期に返せばと安易に考えるでしょうから、難色を示しても、最終的にはこの条件を飲むはずです。しかも、仕事は次から次へと舞い込んでくるんですからなおさらですよ。ですがね、受注が増えれば、原材料の仕入れも増やさなければなりません。新たに人も雇わなければならないし、設備だって増設しなければならなくなるんです。かくして運転資金は増えることはあっても、減ることはない。仕事を発注する大元の会社だって、手形の決済期間を延長することはあっても、短くすることはあり得ない。下請け、孫請けと、階層が下にいくほど、運転資金の確保に追われることになる。好景気ってのは、そういうものでしょう」
 否定的な見解が返ってくるはずがないのは、相変わらず口を開けたまま固まってしまった森沢を見れば明らかだ。
 確信した清彦は、上目遣いで森沢の視線を捉えると、どうだとばかりに口元に笑みを浮かべた。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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