よみもの・連載

雌鶏

第三章2

楡周平Shuhei Nire

「債権の売却先はヤクザですねん。工事現場に人を送るのも、飯場を管理するのもヤクザなら、廓からは毎月みかじめ料を徴収してますよって、親だろうが娘だろうが、斡旋(あっせん)先はすぐに見つかるんですわ」
「自分は金貸し稼業に専念して儲けるだけ儲けて、汚れ仕事は本職にってわけか?」
「正直言うて、そっちが本音やとは思いますね」
 北原はニヤリと笑う。「ヤクザにとって、買うた債権は儲けの種です。そら、社長のことを大事にしますがな。まして、今は足を洗いましたけど、社長は戦争が始まる前は尼崎の博徒やったんです。うちの会社が、アマで大手を振って商売できるのも、そんな関係ができ上がっているからなんですわ」
「博徒? じゃあ社長も――」
 清彦が言いかけたその時、電車は減速を始め、尼崎駅のホームに滑り込む。
 平日の昼だというのに、駅前の飲食店には仕事にあぶれた日雇か、あるいは夜勤明けの工場労働者か、早くも酒を飲んでいる客の姿がある。しかし、一帯が賑(にぎ)わうのは夕刻以降のことなのだろう。人通りは思いのほか少ない。
『淀興業(よどこうぎょう)』は、その商店街を入ったすぐのところにあった。
 北原がドアを開けた瞬間、
「ご苦労様です……」
 中にいた若い衆が一斉に立ち上がり、頭を下げる。
「おう」
 ひょいと片手を上げ、鷹揚な仕草で応えた北原は、そのまま事務所の奥へと進んでいくと、
「少し、よろしいでしょうか……」
 重厚な執務机を前に座る男に声をかけた。
 年の頃は、五十代半ばといったところか。白髪交じりの短髪に、四角い顎。発達した筋肉に覆われた肩。街金というより、肉体労働者の体つきをした男が顔を上げると、
「なんや……」
 ひどく特徴的な嗄(しゃが)れ声で問うてきた。
「社長、こちら、私が海軍経理学校で雑用係をやっていた時に、大変お世話になった少尉殿で、井出(いで)清彦さん言いますねん」
「ああ……。そうですか」
 男は椅子から立ち上がると、「森沢(もりさわ)言います」
 自ら名乗り、丁重に頭を下げる。
「井出と申します。突然お訪ねして、申し訳ございません」
 北原には面会の目的をまだ告げてはいない。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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