よみもの・連載

雌鶏

第三章2

楡周平Shuhei Nire

 尋常小学校を終えると同時に家業を手伝うようになったものの、生来気性が荒く、素行も不良で悪評は高まるばかり。手を焼いた両親は、十四歳になった森沢を伝手に縋(すが)って尼崎の町工場に丁稚に出したのだと言う。
 しかし、生まれ持った性格は、そう簡単に変わるものではない。それどころか、繁華街が隣接する尼崎は、あまりにも魅力に満ちた街で、それまで森沢の中に眠っていたワルの才を開花させることになったらしい。
 僅かひと月も経たぬうちに工場を飛び出し、地元の博徒の元に身を寄せ、三下(さんした)から本出方(ほんでかた)になった頃、尼崎の小料理屋で働いていたクメと世帯を持ち、二人の男子とミツを儲けた。
 戦前には代貸(だいがし)にまで出世を遂げたのだが、大戦の勃発が森沢の運命を大きく変えることになった。
 代貸は貸元(かしもと)に次ぐ博徒第二位の地位で、中盆(なかぼん)、本出方、三下と多くの子分を持つ。当然、下へ行けば行くほど年齢は若くなる。戦火が激しさを増すにつれ、手下にも召集令状が相次いで届くようになり、子分の大半が出征。国民も耐乏生活を強いられるようになると、博打どころの話ではない。賭場も閉鎖、森沢にも勤労動員がかかりと、組は機能不全に陥ってしまったのだ。
 しかも、戦争末期の尼崎空襲で貸元は亡くなり、二人の息子に加えて、出征した子分のほとんどが戦死したとあって、さすがの森沢も再起する気力が失せてしまったらしい。
 しかし、森沢にはミツがいた。
 北原が語るには、残ったただ一人の我が子であるミツに、不自由な暮らしをさせてはならない。少なくとも、金の苦労だけはさせてはならない。
 その一心が、森沢の再起への決意を奮い立たせたのではないかと言う。
 賭場には博打の魔力に取り憑(つ)かれた者が日々集う。借金をしてでも博打に興ずるものは数知れない。賭場で作った借金の取り立てを行うのはもちろん博徒である。
 つまり、博徒時代の経験が、金貸し稼業にそのまま役立つことに森沢は気がついたのだ。
 そうして、街金業者として確固たる基盤を築いたところに清彦が現れたのだ。
 金を手にすれば、名声、権力と欲に切りがないのが人間だ。そして、森沢には、逆立ちしても手に入れられないものがある。
 それは何か。
 とうに察しはついていたが、清彦は敢(あ)えて訊ねることにした。
「所詮成り上がりの金貸しとおっしゃいましたが、世間から見れば、私だって同じですよ。もちろん、私は金貸しになろうと決心して、社長の下に修業に入ったのですから、世間から何と言われようが気になりませんけど、ミツさんは金貸しの娘から、女房に代わるだけじゃないですか」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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