よみもの・連載

雌鶏

第三章2

楡周平Shuhei Nire

「何でしょう? 仕事の話ですか?」
 来た! と思いながらも、素知らぬふりをして問い返した清彦に、
「いや、そうやないんや。もっと大事な話やねん……」
 いつになく歯切れ悪く森沢は言う。
「改まって大事な話なんて言われると、なんか怖いですね」
 清彦は口元に笑みを宿しながら、普段と変わらぬ口調で返した。
「あのな、ミツのこと、どない思うてる?」
 森沢は、上目遣いで探るような眼差しで清彦を見る。
 別荘には、同時に四人が優に入浴できる浴室がある。クメとミツは入浴中で、座敷にいるのは卓を挟んで座る二人だけだ。
「どうって……。そりゃあ、よく仕事もできるし、気もきくし、いいお嬢さんだと思いますけど?」
「ええお嬢さんなあ……。それだけか?」
「それだけかと言われましても……」
「あんた、誰かええ人いてるんか?」
「いい人?」
「これのことや」
 森沢は、小指を突き立てた拳を顔の前に翳(かざ)す。
「いきなりどうしたんです? そんな話は――」
 止めましょう、と続けようとしたのを遮って、森沢は言う。
「週末は、ほとんどわしらと一緒。飲み食い先の請求書を見ても、それらしい店に出入りしとる気配はない。ええ歳をした男が。あっちの方はどないしとんのか不思議でな」
 それらしい、あっちの方、が何を意味するかに説明は要らぬ。
「これだけ仕事が忙しいと、そんな気にはなれませんよ」
 清彦は苦笑いを浮かべた。「お陰様で、毎日美味いもんと一緒にお酒をいただいてますのでね。お酒が進めば眠くなる。家に帰ったら朝までぐっすり。その繰り返しですよ」
「ほんまかいな……」
 森沢は口元を緩ませ、淫靡(いんび)な眼差しで清彦を見ると、「ワシがあんたぐらいの歳の頃は、女郎(じょろう)の尻(ケツ)を追っかけまくったもんやが、インテリはそっちの出来も違うんかなあ……」
 感心しているのか、馬鹿にしているのか、盃(さかずき)を手に取り一気に酒を飲み干す。
 そして、一瞬の間の後、卓の上にトンと音を立てて盃を置くと、
「ズバリ訊(き)くで。あんた、ミツを嫁にせんか?」
 一転して、清彦の心中を探るような眼差しを向けてきた。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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