よみもの・連載

城物語

第一話『戦人の城(伊賀上野城)』

矢野 隆Takashi Yano

 秀長に仕え始めた時は三百石、それが三千石となり、六千。秀吉にも目を掛けられ一万石に加増された。その後、秀長が死してからは、秀吉に仕えて二万、七万、八万石と、とんとん拍子に出世していった。豊臣家に仕えてからは、順調過ぎるくらいに順調だと思う。
 豊臣家は、高虎の人生を好転させた大恩ある主家だ。しかし高虎は、そんな豊臣家を平然と見限った。
 秀長が病で死に、秀吉も幼い子をひとり残して冥府に旅立つ。豊臣家のもとで天下は治まったとはいえ、戦国の気風いまだ冷めやらぬ世であった。百戦錬磨の猛者ならば、誰もが一度は天下を夢見る。いくら太閤秀吉の遺児だとはいえ、まだまだ猛者がはびこる世だ。幼子に治められる訳がない。
 誰がどう見ても、次の覇者は徳川家康であった。少し頭が回る者ならば、誰でも気付いたはずである。
 秀吉の病が重く、死が間近に迫る頃、高虎は家康へと近づいた。豊臣恩顧の大名でありながら、誰よりも早く、徳川家に与(くみ)すると誓ったのである。
 こういうことは早ければ早いほうが良い。
 高虎の見立てどおり、家康は関ヶ原にて豊臣恩顧の石田三成らを討ち払い、見事天下の覇権を握った。そして高虎は二十万石という領地とともに、外様でありながら、譜代大名と同格という立場を得た。それもこれも、いちはやく家康に目をつけたからだ。情より理を優先させる高虎の性根あっての成功である。
 高虎に言わせれば、三成などもなにかといえば理を盾にするが、いざという時は、情に走る青二才であった。本当に理を最上であると捉えていれば、家康に逆らいはしない。結果、三成ら家康に逆らった者たちは、ある者は殺され、ある者は領地を奪われ、ある者は武士であることを辞めた。
 情に走った故だ。
「うーむ」
 隣に立っている大助が鼻息を吐きながら、唸った。黙然と思索に耽(ふけ)っていた高虎は、息子のほうに目を向けた。
「いかがした」
「父上の真似をいたしました」
 言って大助が笑った。
「儂(わし)は気難しき顔で唸ったりはせぬは」
「いたします」
 笑顔のまま大助が言うと、高虎の口許(くちもと)にも自然と笑みが浮かぶ。己が気付いていない癖を、息子は良く見ている。高虎は息子から、目をふたたび城に向けた。
「儂亡きあとは、御主(おぬし)がこの城を守って行くのだぞ」
「はい」
 己にとって今、なにが一番大事なのかと問われれば、大助以外に考えられない。嫡男の大助こそが、己にとって一番大事な物である。大助のためならば、我が身を顧みずに何事でもできる。
 そこまで考えて、高虎はふと思った。
 大助を大事に思うことは、情なのではないのか。己があれほど嫌っていた情である。情に流されて己が身を滅ぼした者を、これまで幾人も見てきた。四十五を過ぎるまで血を分けた子を知らなかった故に、情を軽んじ切り捨てて生きたと考えることもできるのではないか。大助を得て、はじめて情を知った。そう思わなくもない。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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