よみもの・連載

城物語

第一話『戦人の城(伊賀上野城)』

矢野 隆Takashi Yano

 いや違う。
 迷いを振り払うように、高虎は心にそうつぶやいた。大助を第一に思うということは、理に則(のっと)った考えである。藤堂家を守ってゆくということがなにより肝要なのだ。大助を守ってゆくことは、最も理に適(かな)った生き方ではないか。決して己は情にほだされた訳ではない。藤堂家を守ってゆくという理のうえで、大助を大事に思っているというだけのことだ。
 ……と、心をねじ伏せる。
 なにがどうあろうと、やはり大助は手放しで可愛いのだ。
「おい大助」
 大助の肩に触れた。愛すべき我が子は、黙ったまま父の言葉を待っている。
「儂は御主のためになにができるかの」
 息子は答えなかった。
「殿っ」
 大きな声に、大助が振り返った。高虎も息子に遅れて声のしたほうに顔を向ける。重臣の磯崎金七が鼻を真っ赤にして駆けて来た。三十になろうかという武勇の士で、藤堂家の戦場には常に金七の姿があった。金七は、滑るようにして駆け寄ると、高虎と大助の前に片膝立ちになり、肩を大きく上下させながら口を開いた。
「一大事にござります、殿」
「いかがした」
 大助の肩に手を置いたまま、高虎は顔を引き締めた。
 徳川家が江戸で幕府を開き、各地の諸侯が服従したといえども、なにが起こってもおかしくない世情であることに変わりはない。大坂にはいまだ豊臣家が残っており、年を追うごとに秀吉の遺児である秀頼(ひでより)は大きくなっている。諸侯のなかには、豊臣恩顧の者も大勢いるのだ。奴等が秀頼をいただき、いつ徳川家に刃向うやも知れぬ。
 何故、家康はこの地に高虎を置いたのか。
 その答えが豊臣家と秀頼にある。
 家康は、東国と上方の境にある伊賀の地に、譜代大名格である高虎を置き、西国への睨みとしたのである。いわば高虎は、豊臣家に対する壁なのだ。故に高虎は、平時にあっても常に戦(いくさ)の心持を抱き続けている。大坂で良からぬ動きがあれば、すぐに駿府(すんぷ)へ報せる手筈は整えてあった。
 眉間に皺(しわ)を刻みながら、高虎は金七に問う。
「大坂が動いたか」
 武勇の臣は、無言のまま首を左右に振った。
「ならば、その引き攣(つ)った顔はいかがした」
「駿府から報せがまいりました」
 家康だ。
 息子、秀忠(ひでただ)に征夷大将軍の座を譲った家康は、隠居と称して駿河にいる。政(まつりごと)から身を引いたと言ってはいるが、誰も素直に信じていない。平時は秀忠とその腹心たちに幕府の切り盛りを任せているが、今なお重要な場面では家康の意向が物を言う。駿府の大御所のひと声は、今も絶大な力を有している。
「大御所様がなにを申して来られた」
「近々、人目を忍び、密かに伊賀に参られるとのこと」
「狸めが、やっと動きよるか」
 主のつぶやきに金七は黙したままうなずく。高虎が浮かべる笑みを見て、大助が恐ろしい物でも見るかのように、小さく肩を震わせた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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