よみもの・連載

城物語

第一話『戦人の城(伊賀上野城)』

矢野 隆Takashi Yano

「父上」
 大助の声が思惟から高虎を引き摺りだす。
「なんじゃ」
 口許を緩めて問う。その姿を、右京と掃部はひざまずいたまま眺めていた。
「ここに新たに築かれる城が、某の城となるのでございましょうか」
 大助が問うた途端、高虎の目に怒気が満ちた。
「心得違いをいたすな。これは御主の城などではないわっ」
 儂と大御所様の城じゃっ……。喉の奥まで出かかった言葉を、既(すんで)のところで呑みこんだ。その時になって、忘我のうちに怒鳴ったことに気づき、脇に控える家臣たちを見た。いきなりの主の激昂に、二人は明らかに戸惑っている。
「ひっ」
 大助の悲鳴のような声が聞こえ、ふたたび愛息へと顔を向ける。とつぜん怒鳴られてどうして良いのか解らず、立ち尽くしたまま涙をこらえていた。真一文字に結んだ唇の隙間から、吐息まじりの声が、何度も聞こえてきた。しゃがみこんで大助の両肩に、左右の手で触れる。
「も、申し訳……」
 九歳になったばかりの子供が、なにが悪いのか解らぬまま、謝ろうとしている。悔恨が、高虎の胸を締めつけた。今の己にとって、大助こそがこの世で最も大事なものだったはずではないのか。
 高虎は戦人であった頃の己を思い出し、大助のことを失念していた。己の身を守るためだけの城。大御所様の籠もられる城。高虎の頭のなかは、この城一色に染まっていた。
 大助の肩に触れた手に力が籠もる。なめらかな絹に包まれた肉が、高虎の老いた指の形に沈んでゆく。
「痛とうござりまする、ち、父上」
 こらえきれずに大助が、か細い声で訴えた。しかし息子の哀願は、父の耳には入らない。
 高虎は、己がどこまでいっても戦人なのだということを、痛感していた。小高く積み上がった石垣が、非情なまでに本性を思い知らしめる。息子など二の次なのだ。戦無き世の手慰みなのである。
 それがようやく解った。
「殿っ」
 いさめるような右京の声が聞こえ、高虎は我に返った。目の前で大助が、大粒の涙を流している。それを見て、力まかせに息子の肩を握りしめていたことに気付く。
「済まぬ」
 高虎は手を放し、よろめくようにして立ちあがった。掃部に支えられ、大助はなおも泣き続けている。
「大助」
 手を差し出す。
「ひっ」
 怯えるような眼差しで高虎を見た大助が、掃部の胸に顔を隠した。鼻から息を吐き、高虎は手を引く。そして皆に背を向けた。
「一刻も早う城を完成させるのじゃ。天守の棟梁たちにも急ぐよう伝えよ」
 細々とした説明など不要である。急ぐ訳は己が知っていれば良い。直に皆には解る。
 泣きじゃくる大助をもう一度肩越しに見てから、高虎は三人から逃げるようにその場を去った。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

Back number