よみもの・連載

城物語

第一話『戦人の城(伊賀上野城)』

矢野 隆Takashi Yano



「面目次第もござりませぬ」
 駿府城の床に額を擦りつけながら、高虎は一心に謝っていた。
「面を上げよ高虎」
 やさしい声が届いてもなお、高虎は頭を下げ続ける。
「大御所様直々の御下命でありながら、このような無様な仕儀と相成り、この藤堂高虎、一世一代の失態にござりまする」
 一年九カ月の時を費やし、上野城は落成間近と相成った。高さ十五間の石垣の上に、五層の天守は組み上がり、あとは落成を待つばかりというところまで来ていたのである。
 しかし壊れた。
 無残なまでに崩れ去った。
 城造りの名手と呼ばれた高虎である。万事手抜かりは無かった。どんなことがあろうと決して崩れぬという自信があった。しかしそんな高虎の予想をはるかに越えた暴風が、伊賀を襲った。横なぐりの雨と、人が転がるようにして流されるような大風に晒された天守は、大勢の大工たちを巻き込みながら、無残にも倒壊したのである。百名を優に超す数の死人が出、現場は惨憺たる有り様となった。
「天災である故、致し方なきことであろう。そう肩を落とさずとも良い」
 上座の家康が、おもんぱかるように告げる。そのやさしさが、今の高虎にはたまらなく辛い。
 城造りの名手と呼ばれた戦人の、一世一代の築城であった。太平の世に倦(う)み、緩み切った己をふたたび戦の只中に置くようにして、心血を注いだ城だった。それが、天からの災いという避けがたい不幸によって、あっという間に崩壊したのである。青天の霹靂(へきれき)とはこのことか。高虎は天を恨んだ。
「面を上げられよ高虎殿」
 家康の近臣である本多正純(ほんだまさずみ)が、たまらずといった様子で言った。家康と正純、そして高虎だけの場である。高虎の苦衷を推し量り、家康が他の家臣たちを控えさせたのだ。
 正純の言葉を受けてもなお動かぬ高虎の耳に、家康の枯れた溜息が聞こえた。床板を軋ませ家康が近づいてくる。不意に、肩に温かい手が触れた。
「もう良い高虎」
 ここでようやく高虎は顔を上げて、間近にせまる家康の顔を見た。老いた天下人の瞳には、憐憫(れんびん)の情は無い。苛烈な戦に已(や)む無く敗れた将をねぎらう、主君の温かみがあった。
「どのような名手であろうと、天が敵では勝てはせぬ」
「やり様はいくらもござり申した。某が急ぎ過ぎた故、暴風に耐えることのできぬ天守を築いてしもうたのです。某が……」
「左様に己を責めるでない」
 高虎の言葉を断ち切り、家康が続ける。
「御主が急いだは、戦がいつ始まるやも知れぬと思うたがためであろう。儂を招くための城じゃ、一日でも早う作らねばならぬと急いだ故であろう。ならば悪いのは儂じゃ。儂がために、腕利きの大工たちを死なせてしもうた。悔いても悔やみきれぬのは、儂のほうじゃ。これ以上辛き姿を見せてくれるな高虎。そのような姿を見ておると、儂が苦しゅうなる」
「大御所様」
 熱い想いに満ちた家康の言葉が、高虎に否応なき敗北を知らしめる。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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