よみもの・連載

城物語

第一話『戦人の城(伊賀上野城)』

矢野 隆Takashi Yano

 そして高虎は腹の奥底で思う。
 己は戦人だ。敗れてなお生きているのなら、次は勝てば良い。一度の敗けで動けなくなるのなら、それは武士でも戦人でもない。
「高虎よ」
 老いた家康の瞳に、覇気が漲る。
「こは天のもたらした災いにあらず。最早我が戦に詰めの城は無用じゃという天啓じゃ」
 高虎は躰の芯から震えた。
「天啓にござりまするか」
「そうじゃ天啓じゃ。神仏は儂の味方ぞ」
 高虎は息を呑んだ。みずからが登れぬ頂に、家康は立っている。己が災いだと断じた暴風でさえ、この男にかかると天啓となってしまう。豊臣との戦に詰めの城など無用だと言いきってしまえる胆力は、悔しいかな高虎にはない。家康が、人質という立場から天下人にまで伸(の)し上がれたのは、千変万化する己が身の上を、常に良きほうへと進めてゆくしなやかで太い心根があったからこそなのだ。
 目先の災いに頭を垂れていた先刻までの己を恥じ、みずからの命運を家康に託したことを、高虎は今更ながら褒めてやりたいと思った。
 家康を見つめる瞳に、炎が宿る。
「西方の腫れ物は如何なさる御積りで」
「今、針先で突いておるところじゃ。じきに、こらえきれずに弾けよう」
「その時は、この高虎。溜まりに溜まった膿を吐き出させて御覧に入れましょうぞ」
 家康が満足そうにうなずき、上座へと歩む。重い尻を落ち着けると、背筋を伸ばして高虎に告げる。
「ここで御主に約束しようではないか。儂は敗けぬぞ高虎。必ず豊臣を大坂で滅ぼしてやろう。詰め城など無用ぞ。それ故、御主も城のことは忘れろ。そのような暇があるならば、国許の兵どもを鍛えあげよ」
「承知仕(つかまつ)りました」

 綺麗に片付けられた本丸跡に、高虎は立っていた。隣には、怒鳴られて以来、少し父を恐れるようになった大助がいる。
「大助」
 前方に目をやったまま、毅然とした声で息子を呼ぶ。
「はい」
 おずおずと大助が答えた。高虎は腹に溜めた気を吐き出すようにして、声を吐く。
「御主は藤堂家の嫡男ぞ」
 言って腕を組む。大助は声もなく怯えていた。また怒鳴られるのではないかと、身を縮めている。そんな気弱な息子の背を叩くような心持ちで声に圧を込め、言葉を続けた。
「藤堂家は儂一代で二十二万石の大名となった。幾度も主を変え、戦に明け暮れ、いつ果てるとも知れぬ日々をなんとか生き延び、ここまで来た」
「はい」
 まだ九つの息子には難しい話であるかも知れない。が、今のうちに話しておきたかった。己が戦人であるうちに。己の身がこの世に留まっているうちに。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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