よみもの・連載

軍都と色街

第一章 横須賀

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 日本の色街には大きく分けて三つの起源がある。戦後直後から闇市に付随する形でできたもの。黄金町や三鷹、武蔵新田の色街がこれにあたる。二つ目は安土桃山から江戸時代にかけて、時の為政者によって作られたもの。全国各地に存在するが、吉原や京都の島原、大阪の難波新地(なんばしんち)、博多の柳町などがあげられる。三つ目は明治時代になって、各地に旧日本軍の師団や連隊が創設され軍都と呼ばれる街が各地にでき、兵士たちの慰安施設として、色街が作られた所。特に軍都の色街は、日本が戦争に敗れると、旧日本軍の基地を接収した米軍によって利用された。
 軍都を起源とする色街は、日本中を見渡してみれば、各地にある。北海道の旭川、千歳、青森県の大湊や三沢、山形県の神町(じんまち)、茨城県の土浦、千葉県の船橋、神奈川県の横須賀、兵庫県の丹波篠山(たんばささやま)、京都府の舞鶴、大阪府の信太山(しのだやま)、山口県の岩国、広島県の呉、鳥取県の米子、福岡県の芦屋、久留米、鹿児島県の鹿屋(かのや)、知覧(ちらん)。
 今回私は、軍都と呼ばれた土地を巡りながら、そこに生きた娼婦たちや色街の歴史、兵士たちの生き様を記録したいと思った。色街のルーツのひとつである軍都を通じて、色街史を作りあげてみたいと思ったのだ。軍都と色街の関係を通じて、色街史だけではなく、色街という日常の表舞台ではない日陰から日本を見ると、また別の日本の姿が浮かび上がってくると思う。
 改めて日本各地に点在する軍都の色街を見てみると、色街というのが軍隊の一部ですらあったかのような様相を呈している。そのことが、未だに国際問題の難しい課題になっている慰安婦問題の根源にも通じているのは言うまでもない。旧日本軍は、戦域を拡大するにつれて、慰安婦たちを戦場に伴っていった。旧日本軍が基地を置いた街には、慰安所が作られたのだった。
 そもそも旧日本軍ばかりではなく、戦国時代の戦場にも娼婦たちはいて、兵士たちに春を売ったという。中国においては古代から官妓と呼ばれる遊女たちが組織され、兵士たちを慰めた。西洋においてはナポレオンも慰安所を作ったという記録がある。命のやり取りをする戦場には娼婦たちがつきものだったのだ。そして、朝鮮戦争の時代には日本や韓国の基地のまわりには色街が形成され、ベトナム戦争の時代には日本だけではなく、東南アジアのタイやベトナムにも今日まで続く色街ができた。
 古今東西、軍隊と性は切っても切れない関係にある。
 私は日本国内の色街の取材だけではなく、旧日本軍が軍靴で踏みしめた東南アジアのミャンマーやタイ、フィリピンにも足を運び、兵士たちの生き様も追いかけてみた。
 日本の軍都を取材していくと、どうしてもあの時代の東南アジアや太平洋の戦場にも触れなくてはならなくなったのだ。
 まずは足元から見ようと思い足を運んだのが、幾度となく訪れている横須賀だった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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