よみもの・連載

軍都と色街

第一章 横須賀

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 そもそも日本がアメリカと関係を持つようになったのは、誰もが知る江戸時代末期のペリー艦隊の来航である。その最初の出会いから、ペリー艦隊の水兵は、寄港した沖縄や横須賀などで暴行事件を起こしている。
『嘉永明治年間録』という書物にペリー艦隊の水兵が横須賀市久里浜近郊で起こした暴行事件の顛末が記されているので、私が読み下したものを記してみたい。

 “この度やって来た異国船。六月八日、本牧沖に滞船中は小舟にて諸方を遊覧し、此の時久里浜に住む百姓市之助(年齢約六十歳)と言う者がいて、娘(二十歳)が一人いた。市之助は畑に出て農作業の為家を留守にしていた。娘が水を汲みに出ていると、夷人たちが娘を見つけ、小舟にて漕ぎ寄せてきて、八人が上陸し、市之助宅に侵入し娘を強姦した。物音を聞き市之助が家に戻ると、その様子を見て、天秤棒にて夷人三人を打ち倒し、その他の夷人は船へ逃げ帰った。娘は気絶していて、市之助は娘を介抱し、何とか息が戻った。此の隙に三人の夷人たちも逃げ出した。市之助は久里浜の役所に訴え出たが、役人は穏便に済ますため堪忍してくれと諭し、三百疋を取らせて事を済ました”

 事件はペリー艦隊最初の来航の時である。すでに最初の出会いから、今日多発する暴行事件を暗示するようなことが起きていた。ちなみに沖縄で起きた暴行事件では、ペリー艦隊の水兵の乱暴狼藉に怒った地元の人々によって、ウィリアム・ボアードという名の水兵が殺害されている。今もその墓が那覇市内の天久(あめく)に残っている。ペリー艦隊側に何らかの処罰があってしかるべきだが、反対に処罰されたのは、水兵を殺害した沖縄の住民のみだった。事件ばかりではなく、不平等な刑罰もやはり、出会いの時から始まっている。
 さらに時代が下り、太平洋戦争が日本の敗北によって終わると、横須賀には本格的に米軍が乗り込んできた。そして、進駐してきたその日に事件が起きていた。終戦直後の米軍を中心とした進駐軍の無法ぶりを記した『進駐軍の不法行為』(内務省警保局外事課)に記されている事件を二つ抜粋してみたい。


”八月三十日午後六時頃横須賀市(黒塗り)方女中、34右一人ニテ留守居中突然米兵二名侵入シ来リ一名見張リ、一名ハ二階四畳半ニテ(黒塗り)ヲ強姦セリ
手口ハ予メ検索ト称シ家内ニ侵人シ一度外ニ出テ再ビ入リ、女一人ト確認シテ前記犯行セリ

八月三十日午後一時三十分頃横須賀市(黒塗り)方。米兵二名裏口ヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻(黒塗り)当三十六年、長女○○当十七年ニ対シ、拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上(黒塗り)ハ二階ニテ(黒塗り)ハ勝手口小室ニ於テ夫々強姦セリ
手口ハ十一時半頃検索ト称シ室内ニ侵入女二人ノミト確認一旦外ニ出テ更ニ前記時間ニ犯行ニ及ブ”


 二件の凶行ともまったく同じ手口であり、手慣れた印象すらある。気になって、横須賀に進駐した部隊を調べてみたら、アメリカ海軍第六海兵師団という部隊名が出てきた。
 この部隊は横須賀に上陸する以前に、沖縄で日本軍と戦っていた。しかも日本軍の司令部があった首里手前の日本軍の防衛線で米軍からシュガーローフと呼ばれた丘を巡る戦いで、多くの損害を被った部隊だった。シュガーローフの戦いは、一週間に及び、海兵隊側では二千六百六十二人の死傷者を出していた。ちなみに、シュガーローフを訪ねたことがあるが、その周辺は現在ショッピングモールなどが建ち並ぶエリアとなっていて、かつて激戦地だったという面影はどこにもない。
 沖縄戦では、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」のツイッターなどによると、米軍上陸直後から米兵による地元女性への強姦事件が頻発している。それ以前のサイパン戦においても米軍による民間人への強姦事件は発生している。沖縄の住民たちの中には、サイパンに移住していた者も少なくなかった。
 サイパン、沖縄、そして終戦後の横須賀と米軍による暴行事件が起きることは、必然でもあったのだ。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number