よみもの・連載

軍都と色街

第二章 大湊

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「小松野遊廓時代のご記憶はありますか?」
「はっきりとしたことは覚えていないんですよ。うちの場合は、芸者置屋だったので、お客さんが出入りするような場所ではありませんでした」
 色街の女性には一般的に春を売る娼妓(しょうぎ)と芸を売る芸妓(げいぎ)という区別があるが、越前は後者を扱う店だったという。
 話がひと息つくと、図々しいのは承知で、越前さんに建物の内部を見せてもらえないかとお願いしてみた。
 先ほどと同じようにしばし逡巡したあと、
「たいしたものは、何もないですよ」
 と言うと、家の中に案内してくれた。
「珍しいのはこれくらいですかね」
 玄関から入ってすぐ左手にある十畳ほどの応接室の片隅に、電話室と書かれた木造の電話ボックスがあった。室内にあるというだけでも珍しいが、それも当時のままである。
「うちは芸者置屋だったから、お声が掛かったら、芸者さんたちを送りださないといけない。それだから電話もいち早く設置したんじゃないですかね。昔は各家に電話があったわけじゃないですから、仕事ばかりでなく、近所の人もこの電話を利用したんですよ。○○さんいますかと電話が掛かってくると、その家まで呼び出しに行って、ここで話すんですよ」
 私はそのような景色を、日本ではないが、二十年以上前に旅したネパールの山村で見たことがあった。彼(か)の地の山間部では、電話はおろか電気や水道も通っていない村が一般的であったので、電話は村の商店や富裕な者の家にしかなく、ひとつの電話を何世帯もの家が共有していた。しかも利用される側は、特に金銭的な見返りも要求していなかった。
 この電話ボックスが機能していた時代、私は生まれていなかったが、ネパールという他国の人々のやり取りから、その時代の空気を何となく理解した。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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