よみもの・連載

軍都と色街

第二章 大湊

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 父親が経営していた原田組は、一九四七(昭和二十二)年に解散した。日本の敗戦から二年後のことである。旧日本海軍が消滅したことにより、彼の見立ては間違っていなかったことになった。解散後、父親は町会議員になったという。
「父親が町議になれたのも、母親の存在が大きかったと思いますよ。料亭の女将として旧日本海軍や地元の名士にも顔が利きましたからね。新盛楼はここ大湊で三本の指に入る料亭にまでなりましたが、それは母親の功績以外にありません」
「大湊を代表する料亭とのことですが、他にはどんな料亭がありましたか?」
「もう今は駐車場になっているけど、秋田から来た人がやっていた山幸楼、あとは津軽から来た人がやっていた竹の家。今は何も残っていない。売春防止法のあとに売り払っていなくなっちゃった」
「山幸楼がなくなったのはなぜですか?」
「なくなったのは十二、三年前のことなんだけど、ガソリンスタンドの経営をして失敗してしまったんだ。それで、維持できなくなっちゃったんだ。大きな建物を維持するのは大変なことなんだよ」
 今でも日本に僅かばかり残る遊廓時代の建物というのは、所有者のたゆまぬ努力があってこそだということがその話から窺える。
「戦後になって料亭から遊廓になったとのことですが、ご記憶に残っていることはありますか?」
「正月になると、七人か八人の遊女さんが挨拶に来たのを覚えているな」
「日常の様子などは覚えてないですか?」
「ここで暮らしていたら教育上よくないと思ったんじゃないかな。中学に入るぐらいの時に、兄の家に下宿させられたんだ。それだから、あんまり遊廓の頃のことはわからないんだ」
 昭和十九年の生まれである原田さんの人生は、昭和二十年に遊廓となった新盛楼とともにスタートしたといっても過言ではないが、両親からしてみれば、その姿はあまり見せたいものではなかったのだろう。
「遊女さんはどのくらいの人数がいたんですか?」
「戦争が終わってからは減ったと聞いたな。記憶にあるのは三人ぐらいだったかな」
「出身地は覚えていますか?」
「だいたい下北の近郊だったと思うよ。川内、大畑、東通といったところだった」
「印象に残っている方はいますか?」
「文子さんという大畑出身の人でね。綺麗だったな。遊廓を閉じる時にお客さんと結婚したのを覚えているよ。遊廓で働いていた人たちは、昭和三十三年に売春防止法が施行された時にみんな結婚したんだよ」
「売春防止法が施行されてからは、どうされたんですか?」
「旅館をやったり、自衛官向けの下宿にこの建物を利用していた。他にもガソリンスタンドを経営していたね」
「ちょっと話を戻しますと、戦後直後には米軍が進駐していますが、その当時米兵相手の商売はされたんですか?」
 あまりそのことには触れたくないのだろう。原田さんは、少し間を置いてから口を開いた。
「樺山(かばやま)飛行場というのがあってね、そこに米兵がいたもんだから、パンパン屋を開いたと聞いてます。ほんの数年だと思うけど、かなり儲かったそうだよ」
「樺山飛行場周辺にはパンパン屋の跡は残っていますかね?」
「随分昔のことだから、残ってないだろうな」
 樺山飛行場は、旧日本海軍が戦争末期に作ったもので、戦後は米軍に接収された後、今では自衛隊の施設となっている。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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