よみもの・連載

城物語

第九話『政道は潰えず(高知城)』

矢野 隆Takashi Yano

 瑞山がゆっくりと顔を上げて東洋を見た。丸い顔の真ん中あたりにある瞳が爛々(らんらん)と輝いている。軽く結んでいる唇は、固い意志が宿って力に溢れている。
 才在り……。
 ひと目でわかった。この男は只者ではない。一介の白札郷士にしておくには勿体(もったい)無い男だ。
 口許に笑みを湛(たた)えながら、東洋は問う。
「儂になにか申したきことがあるがやろ」
「はい」
 返答の声が重い。相当の覚悟を、この面会のために決めてきているようだ。
 象二郎や退助は、この日の面会のことを聞き、警護を乞うた。しかし東洋はそれを断わった。門前には十数名の勤王党の党員が屯(たむろ)している。下士が群れ集い城下を練り歩くなど土佐では言語道断の行いであった。しかも参政の屋敷の前に屯するなど、本来ならば科(とが)を受けても文句は言えない。象二郎たちが血気に逸(はや)るのも仕方が無かった。それでも東洋は瑞山のやりたいようにやらせた。ここで己を斬るような男ならばそれまで。参政の屋敷に押し入り斬って捨てたとあっては、勤王党もただでは済まない。当然、瑞山は腹を切らされ、党員たちも罪を受けるであろう。勤王党は瓦解し、下士たちの夢は潰(つい)える。そんな短慮な行いをする男なら、土佐にはいらない。
 東洋の懸念は瑞山を見てすぐに氷解した。愚行を犯すような者では決してない。
「土佐勤王党の党首の思うところを、存分に聞かせてみぃ」
 腕を組んで東洋は瑞山を促す。一度目を伏せた若者は、鼻から息を吸いそれを腹に押し留めると、意を決したように東洋を見た。
「尊王攘夷。この日ノ本の国を夷狄(いてき)より救うにはそれしか道はござりませぬ」
「そのような御題目を言いにわざわざ儂んところに来たちゅうがか」
 少しだけ声に圧を込めてみたが、瑞山は臆することなく淀(よど)みない口調で答える。
「仰せの通り御題目でござりまする。が、この御題目こそがなによりも日ノ本の現状を端的に顕(あら)わしておると某は思うておりまする」
 国の言葉を使わない瑞山に反感を覚えた。己は土佐の者たちとは違う。心根の奥にそんな気概があるのだろう。しかし東洋には、それは浅薄な意地にしか見えない。訛(なま)りのない言葉で朗々と語ることで己を大きく見せようとする魂胆が見え透いている。そんな東洋の考えなど知りもせず、瑞山は続けた。
「薩摩の島津久光(しまづひさみつ)公が、攘夷決行のために京に向かうという噂もござりまする。長州でも尊王攘夷の機運は高まっております。この流れに土佐も遅れてはなりませぬ。東洋様の御力を御借りしたきは、この一事にござります。東洋様の御力添えをいただき、容堂様に尊王攘夷の御決断を促していただきたい」
「早いぜよ」
 簡潔な言葉で切り捨てた。瑞山の細い眉が一度ぴくりと震えたのを、東洋は見逃さない。
「攘夷攘夷とおまん等は言いゆうが、本当に異国に勝てると思いゆうがか。鉄の船に乗り、大砲も銃もようけ持っちゅうぞ。異国の銃は、持ったことも無いような者でも、撃てば簡単に的に当たるがじゃ。知っちゅうがか」
 弥太郎が長崎で見聞きしてきたことだ。瑞山は無言のままこちらを睨んでいる。東洋はなおも押す。
「攘夷攘夷言うて騒いじょるが、勝てんかったら、それこそ国は滅ぶがじゃ」
「勝ち負けの問題ではありません。ここで立たなければ、この日ノ本の国は……」
「無くならんぜよ」
 瑞山の言葉を阻む。また細い眉が震えた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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