第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
四十七
念願の砥石(といし)城を奪取した翌年、武田家の正月は晴信(はるのぶ)の長男、太郎(たろう)の具足始(ぐそくはじめ)という慶事から始まった。
具足始は文字通り、武門の男子が元服して初めて甲冑(かっちゅう)を着用する儀式である。
多くの武功を上げた上輩を具足親とし、鎧兜(よろいかぶと)を着付けてもらい、その後、当人が張弓を杖(つえ)にして左足で三度の拍子を踏んでから、南向の床几(しょうぎ)に座して三献を受ける。その所作は出陣の法に則(のっと)っているが、肴(さかな)の組様だけが帰陣の法に準じていた。
通常ならば、元服の儀と一緒に行われることが多い。しかし、武田太郎は二年前に元服だけを済ませている。
それには理由があった。
板垣(いたがき)信方(のぶかた)が討死してから、大井(おおい)の方(かた)が体調を崩しがちになり、病床に臥(ふ)すことが多くなった。そこで初孫である太郎の晴姿を見せるため、晴信は少し早い齢(よわい)十三で元服の儀を行うと決断したのである。
本来ならば、続けて具足始の儀を行ってから初陣を迎えるはずだったが、この年は武田家にとって試練の連続だった。
松本平(まつもとだいら)で小笠原(おがさわら)家との熾烈(しれつ)な戦いを凌(しの)ぎ、しかも砥石崩れがあった年である。
晴信は長男の初陣にふさわしい合戦はないと判断し、あえて具足始を行わなかった。
そして、今年、天文(てんぶん)二十一年(一五五二)中に、太郎と今川(いまがわ)義元(よしもと)の娘の婚儀が予定されている。齢十五となった長男が乙名(おとな)としての体面を整えるために具足始が行われることになった。
「太郎、具足始は滞りなく終わった。この先は初陣となるゆえ、ますます精進せよ」
「はい、父上。承知、仕(つかまつ)りました」
太郎は具足姿で礼をする。
「ただし、改名に関しては、もう少し後になる。当家と今川家の連名にて、京の公方(くぼう)様に烏帽子親(えぼしおや)をお願いし、偏諱(へんき)をいただけるよう手配りしておる。同じ源(みなもと)の一門として、源氏長者の将軍様から偏諱の一字をいただいて、そなたの改名を行いたい。したがって、乙名を名乗るのは、それが承認されてからだ」
晴信は今川義元を通じて、室町(むろまち)幕府の第十三代征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となった足利(あしかが)義藤(よしふじ/後の義輝〈よしてる〉)に太郎の烏帽子親になってもらえるよう嘆願していた。
「有り難き仕合わせにござりまする」
「では、その姿を御祖母(おばあ)様に見せてまいれ」
「はい」
「兄上、それがしが一緒に行きまする」
具足親となった弟の信繁(のぶしげ)が申し出る。
「そうしてくれ」
晴信は笑顔で答えた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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