よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 この一首には、次のような意味がある。
『何も知らずにやってきたが、あちこちの神社では神楽月となったからであろうか、立てられた榊の葉が揺れて清々しい音を立てている』
 神楽月は霜月(しもつき/十一月)の別名であり、前の月は神々が出雲(いずも)へお帰りになる神無月(かんなづき/十月)であることから、神帰月(かみかえりのつき)とも呼ばれている。
 四方の宮居とは、それぞれの神社のことであり、神々の帰還を祝うように供えられた榊の葉が清々しい音を立てる。それがまるで神楽のようでもあった、という和歌だった。
 榊葉は神への供物(くもつ)であり、神前の婚儀ならば必ず立てられる。さやけきは「清々しい」という意味に加え、「光が冴(さ)えて明るい」ことも示している。
 つまり、定家が歌ったように、十一月を最も縁起の良い月と考え、神前での婚儀を行ってはどうか、という今川義元からの提案だった。
「少し先にはなるが、神楽月でよかろう。万全の支度ができようて」
 晴信は今川家の申し入れを承諾した。
「御屋形様、それともうひとつ、治部大輔殿から御言伝(おことづて)がござりまする」
「何であるか」
「北条(ほうじょう)家の男子(おのこ)と当家の縁組を考えてみてはどうか、とのことにござりまする」
「北条家に、わが娘を輿入れさせよと?」
「はい。北条氏康(うじやす)殿には今年で齢十六になる西堂丸(せいどうまる/後の氏親〈うじちか〉)という御長男がおられるそうで」
「されど、今川家と北条家は、未だに反目したままではないか」
 晴信が眉をひそめる。
「ところが、北条家を巡る情勢がだいぶ様変わりいたし、治部大輔殿もその辺りのことを睨(にら)みながら、先のことをお考えになっているのではありませぬか」
 駒井政武の話によれば、昨年、北条氏康が関東管領(かんれい)職である山内上杉(やまのうちうえすぎ)憲政(のりまさ)の本城、上野国(こうずけのくに)の平井(ひらい)城を落としたらしい。
 山内上杉憲政は河越(かわごえ)城の包囲で北条家を追い詰めた張本だったが、この一戦に大逆転で勝利した氏康が勢いを得て、武蔵国(むさしのくに)で関東管領に従っていた国人(こくじん)衆を次々に離反させた。
 ほぼ武蔵国を制覇した北条氏康は、次に上野国の攻略に乗り出す。平井城を攻め落とし、山内上杉憲政を厩橋(うまやばし)城から白井(しらい)城へと追い詰めた。
 この侵攻を脅威と見た西上野の河西(かさい)衆が、那波(なわ)宗俊(むねとし)を通じて北条家に服属すると、続いて関東管領の馬廻(うままわり)衆までもが離反し始めたというのである。
「おそらく、近いうちに関東管領の上杉憲政が上野からも追われるのではないか。それが治部大輔殿の見解にござりました。伊豆(いず)、相模(さがみ)、武蔵、上野を制するとなれば、北条家の力は強大なものとなりまする」
 駒井政武の言葉を聞き、晴信が眼を細める。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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