よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「様(ざま)を見よ!」
 村上義清は塩田城で気勢を上げ、高梨政頼と盃を合わせる。
「この勢いで、謀叛者どもが籠もる笹洞城と荒砥城を落とし、憎き真田のいる砥石城を攻め落としてくれるわ」
「いやいや、われらはあまり長居できぬぞ。越後の将兵も無事に帰さねばならぬしな。今は葛尾城を固め、武田に走った者どもを引き戻すことに専念なされよ」
 高梨政頼が釘を刺す。
「真田幸綱を討てば、また手下どもは戻ってくる。軍は勢いが肝心ぞ!」
 顔を赤らめた村上義清が吠(ほ)える。
 顔をしかめた斎藤朝信が、高梨政頼に目配せする。
「われらは間もなく、帰還いたしますゆえ、どうか、ご用心を」
「なんじゃ、つれないのう」
 村上義清は不満そうな顔で盃を干した。
 しばらく武田勢の動きを警戒したが、動きを見せなかったため、高梨政頼と斎藤朝信は一千の兵を残して本領へと帰還する。
 しかし、二ヶ月後の七月終わりに、突如として武田の大軍が佐久から侵攻してくる。六千余の軍勢が内山(うちやま)城を経由して進軍すると、村上義清についていた大井(おおい)信定(のぶさだ)の籠る和田(わだ)城が自落し、続いて大井家の本拠である武石(たけし)城も落ちた。
 武田晴信は大軍を率い、村上方の城をひとつひとつ落としながら、義清が籠もる塩田城へ迫る。この時、なんと一日で村上勢の諸城が十以上も落とされた。
 しかも、ほとんどが無抵抗で開城するか、自落、つまり兵が脱走し、勝手に城が落ちていた。
 ――進退窮まったか……。
 村上義清は歯嚙(はが)みするが、一千の兵ではとうてい武田の大軍を抑えることはできそうになかった。
 窮地に追い詰められた義清は再び城を捨て、行方をくらます。
 当然のことながら、塩田城と葛尾城は自落した。
 天文二十二年(一五五三)八月二十八日、信濃を出奔した村上義清は形振(なりふ)り構わず、再び越後へ逃げ込んだ。
 春日山城の長尾景虎は、それを快く迎え入れる。
 しかし、その神妙な面相は、はっきりと北信濃を見据えていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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