第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
四十九
信濃国には、馳走(ちそう)が載った四つの豊饒(ほうじょう)な御盆がある。
古(いにしえ)より、そのように謳われてきた。
その四つの御盆とは、豊かな水利に恵まれた肥沃な盆地のことであり、作物が育ち、人々の営みが栄える。街道が整備され、荷車が行き交い、宿場は賑わう。
それらの盆地は、巷(ちまた)で「平」とも呼ばれている。
そして、「信濃一国を制覇するためには、四つ御盆、つまり、すべての平を制しなければならない」と言われていた。
――その四つの御盆のうち、すでに三つを制した。すなわち、諏訪湖の水利に恵まれた諏訪平。天竜川(てんりゅうがわ)の恵みを受ける伊那平。梓川(あずさがわ)、奈良井川(ならいがわ)、犀川が縦横無尽に走り、広さを誇る松本平である。
晴信は深志城の殿主閣(てんしゅかく)から松本平を眺める。
この城は元々、小笠原家の井川(いがわ)館の支城として建てられたものだったが、勝弦(かっつる)峠と塩尻(しおじり)峠の一戦で小笠原長時を破ってから、松本平と深志城の立地を重要と考え、大がかりな改修を行った。今後の信濃攻略において拠点の役割を果たすと考えたからである。
――そして、残るひとつの御盆。それが犀川と千曲川の恩恵を受けて広がる北信濃の善光寺平だ。多大な犠牲を払い、埴科、筑摩から村上義清を追い出した今が、善光寺平を制する、またとない好機であろう。四つの平を制したならば、朝廷に信濃守護職の補任をお願いし、名実ともに国主となる。あと少しの辛抱だ。
そう思っているところへ、馬場信房が駆け上がってくる。
「御屋形様! 火急の件にて、このまま失礼いたしまする!」
「いかがいたした、信房」
「越後勢が犀川を渡り、川中島へ現れました」
「越後勢!?……村上、高梨の軍勢ではなくか」
「はい。早馬からの報告によりますれば、旗印は確かに九曜巴(くようともえ)、それに毘と龍の一文字旗だということにござりまする」
「九曜巴……長尾の家紋か?」
晴信が眉をひそめる。
「さようにござりまする」
「越後の長尾景虎が、自ら信濃へ出張ってきたというのか」
「……わかりませぬ。されど、毘と龍の一文字旗の騎馬に囲まれた大将が、行人包(ぎょうにんづつ)であったと申しておりまする」
「行人包?」
「……は、はい。兜に前立(まえだて)はなく、白絹の行人包で覆われていたと」
「坊主上がりの大将ゆえ行人包か。酔狂なことよ」
晴信が忌々(いまいま)しそうに吐き捨てる。
「兵数は?」
「およそ五千ではないかと」
「して、どこに布陣した」
「川中島(かわなかじま)の布施(ふせ)とのことにござりまする」
「それはいったい、どこのことか?」
「地図をお持ちいたしました」
馬場信房が床の上で地図を広げる。
「この辺りではないかと」
北国(ほっこく)街道と二つの川に挟まれた中間を指した。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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