よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「先日、それがしは関東管領職の山内上杉憲政殿をお助けするために、京の御主上(みかど/後奈良〈ごなら〉天皇)より治罰(じばつ)の御綸旨(ごりんじ)を賜りました。そこには、『住国越後及び隣国にはびこる押領の輩(やから)を罰することを許す』と記されており、越後の隣国ならば、押領の徒を成敗するために、どこへなりとも出陣できまする」
 驚くべき話だった。
 越後国は東西に細長く伸び、越中(えっちゅう)、信濃、上野、陸奥(むつ)、出羽(でわ)、佐渡(さど)に接している。治罰の綸旨があれば、そのいずれで起きた紛争にも大義名分をもって介入できるということだった。
「信濃守護職の小笠原長時殿も申されておりましたが、甲斐の武田晴信はまさに信濃をわが物顔で蹂躙する押領の輩。大義なく上野へ侵攻した北条家ともども成敗いたす所存にござりまする」
 そう言い切った景虎の瞳に、これまでとは違った強い光が宿る。
「……北条家ともども成敗」
 義清が呆然(ぼうぜん)と呟く。
 ――その自信は、いったい、どこから湧いてくる?
「それがしは毘沙門天王(びしゃもんてんのう)様の名にかけ、依怙(えこ)にかられて弓箭(きゅうせん)を取らぬと心に決めておりまする。されど、筋目(すじめ)をもってならば、何方(いずかた)へも与力をいたす所存。何よりも、我欲にかられ、他人の所領に手を伸ばす盗人は、決して許しませぬ」
 長尾景虎は澄み切った双眸(そうぼう)で、相手を見つめる。
 ――なんだ、この者の眼力は!?……いま、己のすべてを見透かされたような気がした。
 景虎の視線を受け止め、村上義清は思わず身を固くしていた。
 その気配を察し、高梨政頼が話を引き取る。
「かたじけなし。とにかく、今は一刻も早く兵を率いて北信濃へ戻りとうござる」
「わかりました、叔父上。将として斎藤(さいとう)朝信(とものぶ)をつけますゆえ、無事にお帰しいただけますよう、お願い申し上げまする」
 斎藤朝信は齢二十七ながら、武勇の誉(ほま)れ高い若武者である。
 景虎とは歳も近く、最も信頼する将の一人だった。
「重ねて、有り難く。村上殿、よかったではないか」
「……かたじけなし。必ず、この御恩に報いまする」
 村上義清は素直に頭を下げた。
 四月二十日、越後の長尾景虎と高梨政頼の加勢を得て、村上義清は五千余の兵を率いて北信濃へ戻る。
 手始めに、裏切った屋代正国の本拠、屋代城を落としてから、千曲郡八幡(やわた)に布陣した。
 そこで武田に寝返った国人衆を打ち破り、その余勢を駆って坂木の葛尾城へ攻め寄せる。
 武田方の城将、於曾(おぞ)源八郎(げんぱちろう)を討ち取り、この城を奪還した後、小県の塩田(しおだ)城も奪い帰す。
 この一報を受け、武田晴信の本隊は苅谷原城まで撤退し、この城を今福(いまふく)友清(ともきよ)に任せ、深志城へと戻った。
 田植えの季節が到来していたことも含め、戦いを長引かせず、五月十一日には甲斐の府中へと帰還した。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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