よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 晴信もできる限り母親の枕元を訪ね、手を握って言葉をかける。
「母上、間もなく太郎の嫁も今川家から輿入れしてまいりまする。病いは気からと申しますゆえ、どうか、それまでお気を強くお持ちくだされ」
「……楽しみに……しておりますよ」
 大井の方は掠(かす)れた声で答え、笑みを浮かべようとする。
 しかし、その弱り方は一目瞭然だった。
 そして、看病のかいもなく、五月六日に大井の方は、この世を去ってしまった。享年五十五の身空である。
 御北(おきた)様、御逝去。
 その一報は甲斐だけでなく、信濃にまで駆け巡り、家臣たちの多くが嘆き悲しむ。
 駿府からも今川義元の使者が駆けつけ、九日から葬儀が始まり、十四日に恵林寺(えりんじ)で荼毘(だび)に付され、御焼香が行われる。
 府中全体が喪に服し、静かな悲しみに包まれた。
 母が病いに倒れてから、晴信もある程度の覚悟はしていたが、実際にその刹那が訪れた衝撃は途轍(とてつ)もなく大きかった。
 しばらくは、運ばれてくる膳に手をつける気もおきず、浄衣の姿で書院に籠もり続ける。
「板垣に続き、母上までもがこの世から去ってしまった。なにゆえ、こうも大切な人々を立て続けに失わねばならぬのか……」
 考えても、答えの出る問いではなかった。
 しかし、どうしても、その問いが脳裡(のうり)にこびりつき、拭いされない。
 ――これは無理やり父上を隠居させ、武田の惣領となった報いなのかもしれぬ。
 そんな思いさえ頭の中をよぎる。
 己の宿命に対する呪詛(じゅそ)。決して取り憑(つ)かれてはいけない陰鬱な思念だった。
 晴信は必死でそれを振り払おうとする。
「板垣がいなければ、この身はこうして生き残ることさえできなかったかもしれぬ。上田原の敗戦の時、母上は余の意固地を諫(いさ)め、さらなる誤断を犯さぬよう導いてくださった。……思い返せば、板垣はこの身を支えてくれる柱であり、母上は惣領としての苛烈(かれつ)な宿命から、わが心を守ってくれる庇(ひさし)のような存在であった」
 呪詛(じゅそ)を忌避するため、天に召された傅役(もりやく)や母親の記憶を辿(たど)り、倖(しあわ)せであった頃の想い出の温もりを確かめる。
「されど、もう、その双方を失ってしまった。それにしても早すぎる……。もっと一緒に時を過ごしておけばよかった。今となっては叶わぬ願いだが……。これからは、ただ一身で苛烈な白日の下を歩んでゆかねばならぬのか……」
 晴信には母や傅役をはじめとして、多くの死を受け入れるための時が必要だった。
 四十九日の追善法要を迎えるまで、ほとんどの時を一人で過ごす。
 その間、己と向き合い続けて煩悶(はんもん)し、やがて深奥のざわつきは鎮まっていった。
「惣領として立ったからには、身罷(みまか)った身内や家臣たちの命の重さを背負いながら、先へ進まねばならぬ宿命なのだ。己という器に夥(おびただ)しい数の命と死を受け入れねばならず、それができなくなった時、器は簡単に壊れ、この身が滅するだけだ」
 当然の結論に、当たり前の如く辿り着く。焦らず、騒がずに。
 それが、晴信が師とした岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)の教えでもあった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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