よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 葉月(はづき/八月)に入り、晴信は周囲の動向に注意しながら、小岩嶽城に向かって兵を進める。
 この城は深志城から犀川(さいがわ)を渡り、北西へ五里(約二十`)ほど進んだところに位置していた。
 武田勢は穂高有明(ほたかありあけ)の郷にある青原寺(せいげんじ)を本陣とし、小岩嶽の麓を封じるように陣を布く。小岩盛親は固く城門を閉じ、息を潜めて籠城を続けた。
 そして、八月十日に事態が動く。
 なんと、小川城の大日方直忠が息子とわずかな家臣だけを連れ、自ら晴信の本陣を訪ねてきたのである。
「御屋形様、大日方直忠が息子らを伴い、拝謁を願うておりまする」
 使番(つかいばん)の飯富(おぶ)昌景(まさかげ)が取り次ぐ。
「よかろう。当人と息子らを幕内へ通せ」
 晴信は目通りを許した。
 やがて、大日方直忠が四人の息子を連れ、幔幕裡(まんまくない)に入り、晴信の前に平伏する。
「……それがしは水内郡小川荘の大日方直忠と申しまする。本日は、武田大膳大夫(だいぜんのだいぶ)殿の御尊顔を拝謁する機会をいただき、まことに恐悦至極にござりまする」
「大事ない。面(おもて)を上げよ」
「ははっ」
 直忠と四人の息子が躊躇(ためら)いがちに顔を上げる。
「して、本日の用向きは?」
 晴信は床几に腰掛けたまま相手を見据える。
「……懼(おそ)れながら申し上げまする。かねてよりのお誘い、返事が遅くなりまして、まことに申し訳ござりませぬ。本日、われら大日方一統は武田大膳大夫殿へ恭順の意を示すべく、推参仕りました。どうか、これをお収めくださり、われらのお話を聞いてはいただけませぬでしょうか」
 大日方直忠は袱紗(ふくさ)の包みを差し出し、再び平伏する。
 飯富昌景がそれを受け取り、晴信の前で包みを解く。中からは桐箱が現れた。
「これは何であるか?」
「……首級桶(しるしおけ)が入っておりまする。こたびのお誘いに対し、わが愚息……、長男の直経だけが執拗(しつよう)に反対いたしましたゆえ、断腸の思いで家中にて引導を渡しました。これをわれら大日方一統の総意として、お受け取りくださりませ」
 なんと、大日方直忠が持参したのは、嫡男の首だった。
「さようか。大日方、もう少し詳しく話を聞かせてもらえぬか」
「はい……。わが主家筋であった小笠原が旧領を捨てましてから、当方の家中では武田家へ臣従したいという意見が大半でありました。されど、長男の直経だけが頑として譲らず、抗戦を主張し続けました。それがしが訝しく思い、背景を探ってみましたところ、高井(たかい)郡中野の高梨政頼を通じて越後の長尾家に内応しておりました。われらは再三にわたり説得を試みましたが、長男は逆にそれがしを隠居に追い込み、力尽くで一統を牛耳ろうとしたため、ここにおります四人の息子が引導を渡した次第にござりまする」
 直忠の話によれば、長男以外の大日方直武(なおたけ)、直長(なおなが)、直龍(なおたつ)、直親(なおちか)の四人が文道古(ぶんどうこ)城で兄の直経を誅殺(ちゅうさつ)し、武田家への恭順を決めたのだという。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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