よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 身丈は六尺二寸(約一八五a)ほど、細身に見えながらも、その全身には筋の力が充ちている。引き締まった首筋と端正な細面(ほそおもて)。そして、長い睫毛(まつげ)の下に、遠くを見るような半眼。漢も見惚(みと)れるような美丈夫だった。
 長尾景虎は何の外連(けれん)も、緊張もなく、すっと上座に就く。
「叔父上、本日の急なご来訪、いかがなされました。中野で何かありましたか?」
 あまり抑揚はないが、よく通る声だった。
「弾正少弼(だんじょうしょうひつ)殿、火急の件ゆえ、取るものも取りあえず馳(は)せ参じました。またぞろ、甲斐の武田晴信が北信濃へ攻め入り、地の者たちを蹂躙(じゅうりん)しておりまする。本日、お連れしたこの村上殿も佐久(さく)から小県、埴科、千曲辺りまで広く北信濃を治めておられたが、武田の餌に釣られた国人衆に裏切られ、本拠の葛尾城から退去せざるを得なくなった。まことに由々しき事態が北信濃で起こっておりまする」
「さようにござりまするか。して、村上殿のお望みは?」
 景虎が静かな口調で問う。
「村上左近衛少将(さこんえのしょうしょう)、義清と申しまする。長尾弾正殿とはお初にお目にかかりますが、かような形でお会いすることは慙愧(ざんき)に堪えませぬ。こたびはそれがしの不覚にて不意を突かれましたが、これまで小県で二度にわたり武田晴信の本隊を跳ね返しておりまする。もしも、兵をお貸しいただけますならば、必ずや埴科、小県を奪い返せるかと。どうか、与力をお願いできませぬか」
 村上義清はわざと両手をつき、深々と頭を下げる。
「まずは面をお上げくだされ。して、お望みの兵数は?」
「……三千、いや、五千をお貸しいただけますれば間違いないかと。いかがか、刑部殿」
 義清は隣にいる高梨政頼の表情を窺う。
「村上殿も北信(ほくしん)の虎と呼ばれた漢、五千の兵あらば、叛いた者ごと武田を成敗できよう。われらも、お味方するつもりゆえ」 
「承知いたしました」
 景虎は何の躊躇いもなく答える。
「叔父上に五千の兵をお預けいたしまする。誰か、お望みの将は、おりまするか? それとも、この身に出陣を望まれまするか?」
 その言葉に、高梨政頼と義清が顔を見合わせる。
「……いや、直々の御出陣には及びませぬ。ひとまず、われらで何とかいたしまする」
 政頼が思わず頭を搔く。
「わかりました。では、急ぎ手配りを。されど、御二方の手に余るようでしたら、それがしが信濃へ参りまする」
 表情も変えず、景虎は言った。
 その顔を、村上義清が見つめる。
「……越後を留守になされ、いきなり信濃へ出張るのは、少々無謀かと」
「大事ありませぬ。それがこの身に課された使命にござりまする」
 景虎は微(かす)かな笑みを浮かべる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number