よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「今後、大日方一統は村上義清、高梨政頼及び越後の長尾とは縁を切り、武田家への臣従を誓いとうござりまする。どうか、お許しいただけますよう、お願い申し上げまする」
「話はよくわかった。この首級は諏訪上社(かみしゃ)で供養した後、そちらへ返そう」
 晴信は冷静な口調で答えた。
「……有り難き仕合わせにござりまする。つきましては、末子の直親をお預けいたしますゆえ、どうか甲斐へお留め置きくださりませぬか」
 大日方直忠は忠誠の証として五男を質に差し出す決意をしていた。
「……大日方直親と申しまする。よろしくお願い申し上げまする」
「相わかった」
 晴信は鷹揚(おうよう)な仕草で頷く。
「さらに、あともうひとつ。われらの帰路の途上には木崎湖畔の森城がありますゆえ、古厩盛兼を説得しとうござりまする。お許しいただけますでしょうか?」
「なるほど、それは助かる。われらは明後日に小岩嶽城を総攻めするつもりである。その旨を伝えてもらいたい」
「ははっ、必ずや」 
 大日方直忠と四人の息子が平伏した。
 ――ずいぶんと周到な手回しで降ってきたものだ。大日方直忠、それだけ切羽詰まっており、それだけ本気ということか。
 晴信は大日方直忠の臣従を快く受け入れ、翌日には旧領と安曇郡青具(あおく)の宛行(あてがい)を許した。
 そして、小岩嶽城の総攻めを開始する。武田勢は強引に城門を押し破り、抵抗する城兵だけを倒し、小岩盛親を討ち取った。
 敵兵の半分以上は戦いを諦めて投降し、武田の将兵には犠牲が出なかった。
 この話は森城へも伝わり、大日方直忠の説得もあってか、古厩盛兼は降伏開城して恭順の意を示した。
 ――こたびの戦は首尾良く終わった。三つの城のうち、二つは戦わずして落ち、われらの将兵はほとんど無傷である。こうした戦いを続けていかねばならぬ。
 晴信は孫子の言葉を思い出す。
『百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり』
 兵法、謀攻篇の一節だった。
 ――最善は百戦百勝ではなく、六分の勝ちで合戦を終わらせ、しかも戦わずに味方を増やすことやもしれぬ。加えて、算多きは勝ち、算少なきは勝たず。それを実感した。戦う前に、戦の神算を積み重ねること。神算の立たぬ戦ならば、出陣せぬこと。改めて、その二つを己に課さねばならぬ。
『算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而(しか)るを況(いわん)や、算なきに於(お)いてをや』
 これも孫子の兵法、計篇第一に記された言葉だった。
 こうして、晴信は安曇郡と水内郡を制し、残る標的は埴科(はにしな)郡坂木(さかき)の村上義清だけとなった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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