よみもの・連載

軍都と色街

第五章 千歳

八木澤高明Takaaki Yagisawa

南スーダンへ派遣されたハーフの元自衛隊員


 千歳から室蘭のショッピングモールへと向かった。そこで私はひとりの男性と会うことになっていた。軍都と色街を巡る旅のなかで、私は米軍人と日本人女性の間に生まれた人物に話を聞きたいと思っていたが、なかなか出会うことができなかった。今回やっと千歳在住の方の紹介でその機会を得たのだった。
 室蘭へと向かう車中、今回も旅に同行してくれていた集英社の田島さんが言った。
「私は学生時代を北海道で過ごしたんですが、千歳にこんな歴史があるなんて、知りませんでした」
 その言葉に頷きながら、私も色街の取材をはじめる前は、かつて千歳に日本軍の飛行場があり、それが米軍に受け継がれ色街が形成されたことなどまったく知らなかった。
 はじめて私が千歳を訪ねたのは、今から二十年ほど前のことで、写真週刊誌のカメラマンをしていた頃のことだった。女性会社員が同僚の女性を殺害した事件の取材で、二週間ほど滞在したが、現場とホテルの往復だけで、街を歩いた記憶もほとんどない。ただ、古い木造建築のスナックやバーの密集する繁華街が、かなりの規模だなと思ったことぐらいしか覚えていない。
 その時は色街の取材で、千歳を再訪することがあるなど思いもしなかった。
 
 私たちはショッピングモールのフードコートで会うことになっていた。時間は午後四時を回っていた。広大な北海道らしく広々とした駐車場にレンタカーを止めると、私は一目散にフードコートを目指した。千歳での取材が少し長引いてしまい、約束の時間を数分過ぎていた。
 フードコートはモールの二階にあって、ラーメン屋やたこ焼き屋などが並んでいた。学校帰りの高校生があちこちのテーブルに陣取っているなか、褐色の肌をして、がっちりした体形の男性がひとりテーブルに座っていた。それが話を聞くことになっていた松原さんだった。肌の色からも彼の父親が黒人であることは一目瞭然だった。
「お待たせしてしまい、すいませんでした」
 私が頭を下げると、「気にしないで、大丈夫ですよ」。松原さんは柔らかな笑みを浮かべて、私に座るように促した。
 コーヒーショップでコーヒーを買い求め、それを受け取ると私たちは、テーブルを挟んで向かい合った。
「早速ですが、松原さんは何歳まで千歳にいらしたんですか?」
「生まれは千歳で、それから自衛隊を辞めるまでずっとですよ。自衛隊に入ったのは十八歳の時でした」
「千歳だと、自衛隊に行かれる方は多いんですか?」
「私の出身は千歳北陽高校という高校なんですけど、そこから自衛隊に行くのはかつては王道だったんです。ただ、私が卒業したのはちょうどバブルの前で景気も良かったもんですから、街で就職口はいくらでもあったんです。自衛隊に入ると言ったら、『お前、バカか』と言われました。自衛隊に入るやつなんて指で数えられるほどで、うちの高校からは三人だけでした」
「身の上についてお聞きしたいのですが、松原さんのお父さんはアメリカの方ですか?」
「そうですね、アメリカ」
「英語もご堪能でいらっしゃるんですか?」
「いえいえいえ、全然。向こうが家では日本語しゃべっていたので、英語で話す機会がなかったんです」
「小学校時代は、アメリカの方も多かったんですか?」
「自分の家の近くに、ハーフがやっぱりいました。うちのクラスは四十五、六人中三人ぐらいいましたね。ただ、三人というのは多かった方だと思います」
「黒人の方のハーフとか、白人の方のハーフとか、いろいろですか?」
「白人の方が多かったですね。黒人は俺ぐらいでしたね」
「お父さんは、軍人だったんですよね?」
「そうですね」
「千歳に来ているということは、陸軍ですか?」
「そうです、陸軍です」
「アメリカに行かれたりしていたんですか?」
「小さい頃連れていったとは言っていたけど、俺はあんまり記憶ないんですよ。覚えていることといえば、真っ黒な人がいっぱいいたぐらいですかね」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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