よみもの・連載

軍都と色街

第五章 千歳

八木澤高明Takaaki Yagisawa

ついに父親は帰ってこなくなった


「それは困ったことになりましたね?」
「だから、写真屋もやめちゃって、ちょっとした食料品屋みたいなのをお母さんが始めて。三日、四日たったら、店のすぐ裏だから父が来るんだよね。当時は、お菓子や何でも一斗缶で仕入れてたのよ。そうしたら、かりんとうが入った一斗缶を一缶、父が全部持っていくんだわ。それだけじゃなくて、今度は売り上げもみんな持っていって。私たちが生活できないから、和裁のできたお母さんは、今度は和裁をしながら生活を支えていた。父はその後全然、帰ってこなくなったから」
「居場所はどうやって発覚したんですか?」
「近所の人が、私、旧姓、イイジマですが、『イイジマさん、お父さん、このアパートの女の人のところにいないかい?』という話になって、お母さんも、どこに寝泊まりしているものだか知らなくて、まさか自分のアパートの女の人のところにいるとは思わなかった」
「最初、わからなかったんですね」
「わからなかった。お母さんも気の強い人だったから、父が帰って来たらけんかになるんだわ。けんかして、お金を持っていかれて、お菓子も持っていかれて。しまいになったら、けんかの時に、このぐらいのブリキの板、当時のおもちゃだったんだけど、お父さんの弟が、クリスマスに弟に買ってきてくれたの。そのブリキの板のおもちゃが壊れるまで、うちのお母さんのことたたいてさ。冬のことでしたが、頭をたたかれたものだから、頭から血を吹き出して、表に出ていったら、その辺の雪が、血だらけになっていました。昔、ナカザト病院というのがあったんだけど、タクシーを呼んで、そこへ行って縫ってもらった記憶がある」

「いつ頃までオンリーさんはいたんですかね?」
「うーん。少なくともその後、七、八年くらいかな。だから私が小学校卒業する頃まではいたと思うね」
「お父さんとお母さんの関係は、どうなったんですか?」
「お母さんが、うちにも帰ってこないんだし、あれだから離婚しようって言って、離婚手続をとって、協議になったの。札幌の裁判所に行ったんです。そしたらね、お父さんが開廷時間になったらいなくなる。私もお母さんに一緒についていってました。三回目で、やっと離婚してくれたんだよね。その頃は、もう私、中学生だった」
「なるほど。じゃあ、そのオンリーさんのせいで離婚になっちゃったわけですね」
「そうだね。離婚しても、お父さんは千歳にはずっといたんだよね。そのアパートにはもういないけど、違うところに部屋を借りて」
「任子さんとお母さんはどうされたんですか?」
「お母さんは食料品屋をやめて、それからは縫い物一つで、私たちきょうだい二人を育ててくれたんですね」
「お父さんは、そのオンリーさんと結婚したんですか?」
「そうそうそう。だから、死ぬまでその人と一緒で、そっちにも子どもが二人できたんだよね。ところがね、一人は、当時、ほら、小児麻痺ってはやったでしょ。長男さんが小児麻痺になって。二番目の女の子が、人のうわさだけどね、中学校に行っていてもおしっこ垂らすようなね、お漏らしする、そういう子だったみたいだよ」
「オンリーの人のところに入り浸る前のお父さんというのはどんな人だったんですか?」
「すっごい真面目だったってお母さんが言っていました。だから、私ね、弟に言ったの、『あんたね、父さんの二の舞にならないでよ』って。だから弟はすごく真面目になった。おかげさまで、そんなふうにならないで年をとったからよかったけどさ。ほんと一時ね、私、心配したこともあったのよ。あまりにも真面目だったからね。お父さんみたいになるんじゃないかって」
「お父さんは、もう亡くなられているんですか?」
「お父さんも、その女の人も亡くなってます」
「お葬式には行かれたんですか?」
「弟は行ったみたい。私は行かなかった。あの人のおかげで、私、高校も行けなかったしさ。その頃、裁縫だけでは生活できないから生活保護を受けてたんだよね。当時は、生活保護を受けていたら、高校に行ったら生活保護、切られちゃうのさ。今ならね、高校までというのは義務教育みたいなもんだから、生活保護を受けている人も行けるんだけど、当時は行ったらだめだということで、私はすぐ中央バスに就職したんだよね。バスの車掌になって、切符切りもやったのよ」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number